フランシス・リー監督「アンモナイトの目覚め」(★★★★)(2021年04月27日、キノシネマ天神、スクリーン2)
監督 フランシス・リー 出演 ケイト・ウィンスレット、シアーシャ・ローナン
ケイト・ウィンスレットとシアーシャ・ローナンの組み合わせが気になって見に行った。ふたりとも好きな女優というわけではないのだが、どこをどう叩いても壊れそうにないケイト・ウィンスレットの肉体の厚み、どこをどう叩いても壊れそうにないシアーシャ・ローナンの精神のしなやかな強靱さ(復元力?)がぶつかるのはおもしろい「見もの」という感じがしたのである。
で、この二人の演技合戦。通い合うところが全然ないような感じがして、それが逆に、なんともおもしろい。二人は仕事(?)も正確もまったく違うし、感性そのものもまったく違う。本来なら出会う必然性がない。そして、二人は、互いが違う人間であるということを理解している。理解した上で、出会ってしまうのである。
そして、出会ってしまったあと、共通点があるということを「わかる」。「理解する」という感じではなく「わかる」。「頭」で理解するのではなく、皮膚感覚、肌の感じで「わかる」のである。男に、正当に(?)評価されていない、認められていない。人間として受け入れられていない。そのために苦労している(苦悩している)、ということを「わかる」。そして、接近していく。異質なのに、接近していく。異質だから、どうせ理解されないと思い、接近しやすいのかもしれないが。
それは磁石のような感じ。対極が、「磁石」という共通の性質で引きつけあう。
これをケイト・ウィンスレットのどっしりした不透明な肉体と、シアーシャ・ローナンの繊細で透明な肉体で演じる。ぶつかりあう。なかなか、すごい。セックスシーンが映画というよりも、何か、「演じていない」すごみで迫ってくる。「美しく」撮ろう、撮られようとしていない感じがする。セックスはひとに見せるものではないから、それでいいのだが、何か他人を(観客を)無視したようなところがあって、びっくりしてしまう。
こういうことを象徴するのが、ケイト・ウィンスレットがシアーシャ・ローナンの家を訪ねて行ったときのこと。メイドが二人のキスシーンを見るが、シアーシャ・ローナンは見られていることを意識しない。「たかが使用人だ」というようなことを言う。他人など「眼中」に入っていないし、自分にとって何の関心もない人間を排除しても、何も感じないのだ。
これは逆に言えば、二人がつねに男から排除されていることを意識しているということでもある。ふたりは男から「排除する暴力」を学んでいるのである。ふたりは常に誰かを排除しようとしている。そして、排除する/排除されるという関係が、二人がいつも向き合っている世界なのだ。でも、二人でいるときは排除する/排除されるがない、とふたりは一瞬の夢を見る。
その、そのすさまじいセックスシーンを見ながら、あ、これだな、と思ったのだ。何が、これだなと思ったかというと。この映画の主人公の二人は、他人なんか気にしていないのだ。自分のしたいことがあり、それに向かってまっしぐらなのである。「まっしぐら」を通して「排除する力」に対抗する。そういう力を生きるしかないと理解して、そのまっしぐらにひかれ、まっしぐらすぎて結局うまくいかない。うまくいかないけれど、それでも、求めてしまう。
ラストの大英博物館の「化石の展示ケース」を挟んでむきあうふたりの姿は、何の「結論」も明確にしていないが、それゆえに、すごい。結論などどこにもない。生きていること自体が結論であって、その展開がどういう結論に達するかは問題ではない。そんなものは「偶然」なのだ。「展開していく」ということだけが大切(必然)なのだ。そして、その「必然」をふたりが自分で選ぶように、観客は自分で選ばなければならない。
こういう映画は、病み上がりの肉体には重すぎる。デ・ニーロの「グランパ・ウォーズ」くらいで時間潰しをすべきだったか、と少し反省した。
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