ボルヘス「砂の本」(篠田一士訳) | 詩はどこにあるか

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ボルヘス「砂の本」(3)

巻末の「砂の本」。153ページに、こんなことばがある。

もし空間が無限であるなら、われわわれは、空間のいかなる地点にも存在する。もし時間が無限であるなら、時間のいかなる時点にも存在する。

この訳語「無限」は夢幻に即座に誤植されうるがゆえに、あまりおもしろくない。
いったん「夢幻」と誤読してしまえば、ボルヘスの書いた文章は次のように偽造、捏造されて拡散されるだろう。

もしことばが無限であるなら、われわれは、ことばのどのような動きのなかにも存在し、そこから夢幻がはじまる。われわれがことばを夢見るのか、ことばがわれわれを夢見るのか。ことばが幻か、われわれが幻か、確認した作家も、定義することばもまだ存在しない。

これが、私がボルヘスから学んだこと。あるいは、誤読したこと。