どこからでも手が出る
足ものばすことができる
だが心がでないのはなぜか
この「心がでない」は「出ない」だろうか。
「円の中心」ということばがある。それは「ことば」として存在するが、ふつうは見えない。必要に応じて「点」が記される。この「中心」ということばから「心」を取り出し、手、足と対比させたところがとてもおもしろい。たしかに「円」から「(中)心」は出ることができない。中にあるからこそ「(中)心」なのだ。
こういう「肉体」をつかった表現が、嵯峨には、ほかにあっただろうか。
私は思い出せない。
このあと詩のことばは抽象化していく。書き出しの三行も抽象といえば抽象なのだが、手、足という具体的な肉体と「心」が交錯するので、不思議なおもしろさがある。「頭」だけではなく「肉体」を刺戟してくる抽象だと感じる。
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詩集『誤読』は、嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で書いたものです。
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