フェデリコ・フェリーニ監督「道」(★★★★) | 詩はどこにあるか

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フェデリコ・フェリーニ監督「道」(★★★★)(2020年11月18日、KBCシネマ1)

監督 フェデリコ・フェリーニ 出演 アンソニー・クイン、ジュリエッタ・マシーナ

 何度か見た映画である。くりかえし見る映画というのは、なんというか、その映画のどこが好きかを確認するためにある。
 私はアンソニー・クインがジュリエッタ・マシーナを捨て去るシーンが大好き。何が起きるかわかっているのに、毎回どきどきする。これは最初に見たときからおなじ。
 廃墟のようなところ(廃村、というべきか)で、ジェルソミーナが眠り込んでしまう。だんだん足手まといと感じ始めたザンパーノが、ジェルソミーナが眠り込んでいることをいいことに、そこに置き去りにして、逃げてしまう。
 そのとき、荷車のなかからマントとか衣類をとりだし、眠るジェルソミーナにかけてやるのだが。
 荷車には、ジェルソミーナが吹いていたトランペットがある。
 あ、あそこにトランペットがある。荷台から顔を覗かせている。その存在にザンパーノは気づいていない。私の方が先に気がついている。ザンパーノは気づいていない。いつ、トランペットに気がつくだろうか。トランペットに気がついて、ジェルソミーナがいつも好きな曲を吹いていたことを思い出すだろうか。ジェルソミーナがトランペットが好きだということに気づいて、それをジェルソミーナに残していく気持ちになるだろうか。
 ジェルソミーナが大好きなトランペットだ。ジェルソミーナがいなくなったらトランペットはどうなるのだろう。トランペットがなかったらジェルソミーナはどうやって生きていくのだろう。ジェルソミーナは捨ててもいい。でも、ジェルソミーナを捨てるなら、トランペットだけはジェルソミーナに渡してほしい。
 だから、早く、もっと早く、気づいてほしい。そこにトランペットがあるということに。トランペットをジェルソミーナが吹いていたことを、ちょっとでいいから思い出してほしい。
 ストーリーはわかっているのに(最初に見たときから、そうなることはわかったのに)、毎回、ここでどきどき、はらはらする。映画だから、そのシーンが変更になることはないのに、毎回、心配でならなくなる。
 ジェルソミーナが捨てられるのだから、ここでトランペットを残されたくらいでほっとしてはいけないのだけれど、私は、ああ、よかったと思い、毎回、涙が流れてしまう。私の祈りがとどいた、と思ってしまう。
 これは、どういうことなんだろうなあ。わからない。わからないから、好き。