中沢けい「うどんかけ」、粕谷栄市「音楽」 | 詩はどこにあるか

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中沢けい「うどんかけ」、粕谷栄市「音楽」(「森羅」25、2020年11月09日発行)

 中沢けいが詩を書いているとは知らなかった。そして「うどんかけ」ということばも、私は知らなかった。私は「かけうどん」という。こういうことはどうでもいいことかもしれないけれど、私は気になるのである。
 「かけうどん」はデパートの食堂で「うどんかけ」が食べたいとダダをこねる子どもが主役だ。「澄んだおつゆのなかにうどんが沈んでいるうどんかけが好き」と言い張る。中沢の思い出なのかもしれない。最初にデパートの食堂が出てきて、次に雨の日の思い出があり、ふたたびデパートの食堂にもどり、最後に「オチ」のようなものが書かれているのだか、間にはさまった「雨の日」の部分が非常におもしろい。

 雨の日。「今日は雨降りだから越後屋さんのうどんかけを注文し
て」と頼む。母はすました顔で「今日は越後屋さんはお休みの日よ」
と言う。そのとたんに出前の越後屋さんのバイクがやってくる。お
隣のおうちで出前を頼んだのだ。「越後屋さん、お休みじゃないよ」
と大喜び。軒先から雨だれ。縁側で小躍りしている私の頭越しに母
が言う。「越後屋さん、すまないけど、うどんかけを三杯、お願い
します」と。お昼に母と弟と私でうどんかけ三杯。さすがにうどん
かけを一杯だけ配達してくださいとは言えない母だった。越後屋さ
んは知っている。ここのうちの娘はうどんかけが好きだって。「今
日は雨降りだからうどんかけ」と唱えながら軒先でずっと踊ってい
る私だった。

 私が気に入ったのは「今日は雨降りだからうどんかけ」がくりかえされているところだ。正確には同じことばではない。最初は「今日は雨降りだから越後屋さんのうどんかけを注文して」。それがそのあと「今日は雨降りだからうどんかけ」になる。「越後屋さん」が省略されるのだが、これは出前を取るなら「越後屋さん」ということが中沢の家では「共有」されていた事実だからくりかえさないのだ。でも、それではなぜ最初は「今日は雨降りだから越後屋さんのうどんかけを注文して」と「越後屋さん」が含まれるのか。これは中沢が「小説家」であるから、ついつい、こう書いてしまっているのだ。あとのことばがスムーズにつづくようにしている。いわば「伏線」のようなもの。
 言い直すと。
 現実には「今日は雨降りだから越後屋さんのうどんかけを注文して」と少女は言ったのではないと思う。少女は「今日は雨降りだからうどんかけを注文して」と言ったのだと思う。そして、それはたぶん母の「口癖」というか、母の習慣(中沢家の習慣)だったのだろう。ある日、母が「今日は雨降りだからうどんかけにしよう」と出前を取ったのだ。そのうどんかけが少女は気に入った。そして雨降りとうどんかけがセットになってしまった。「越後屋さん」は、そういうストーリーでは「脇役」。必然ではあるけれど、少女の気持ちのメーンではない。メーンは「雨降りだからうどんかけ」であり、それは同時に「母と少女」の記憶、「私の記憶」なのだ。
 こんなふうに読み直すと、わかりやすくなるかもしれない。
 二度目の「うどんかけ」の部分が「今日は雨降りだから越後屋さんのうどんかけ」だったら、そこから「母」が消えてしまう。「私(少女)」の「わがまま」のようなものだけが浮き彫りになる。「越後屋さん」が消えるからこそ、かわりに「母」が浮かびあがる。「さすがにうどんかけを一杯だけ配達してくださいとは言えない母だった。」というのは、いまから思い出している「母」のことだが、それが、なんといえばいいのか、これがテーマという主張の仕方ではなく、「少女の私」を描くふりをして(?)、静かに浮かびあがる。
 ということを意識しながら、最後の「オチ」の部分を読むと、また楽しい。「オチ」に対する「母」の姿が書いてないのが、とても楽しい。読者はそれぞれ自分の「母」を思い出して、そこに「母」を反映させるしかない。その瞬間、「母」という存在、中沢の「母」に限定されない、普遍の母(母の永遠)のようなものが「共有」される。
 私は中沢の作品は「海を感じるとき」とその後数年の短編集くらいしか読んでいないので、この書き方に「へえーっ」と声が出てしまった。何が「へえーっ」なのかは、私自身よくわからないけれど。



 粕谷栄市「音楽」。

 何が楽しいといって、たくさんの果実が、嬉しそうに、
実っている樹木を見るほど、楽しいことはない。まして、
それらが、みんな、自分の顔をしていて、笑っているの
を見ると、思わず、自分も、笑いたくなる。

 「楽しい」と「笑っている」がくりかえされる。「嬉しい」も同じようなことばだ。そういう似たようなことばが、少しずつ動いていく。動いていくが、何かかわったものになるわけではない。ただおなじところをぐるぐる循環している。
 どうして、これが詩なのか。
 同じところで、ぐるぐると同じことをしていられるから詩なのだ。ストーリー(意味)になることを拒んでいる。
 実際には「意味」というか「ストーリー」のようなものが、あるにはある。中沢の作品について書いたとき「オチ」ということばをつかったが、一種の「結論」のようなものがあるにはある。タイトルの「音楽」がそれだけれど、その「結論」よりも、なかなか「結論」にたどりつかずにぐるぐる巡回し続ける、とどまりつづけることばの「間」がとてもおもしろい。何かしら「豊かさ」のようなものがある。
 それは中沢の詩のなかに出てきた「母」のようなものである。
 粕谷の書いている「間合い」。そういうものがあることは、多くの人が知っているはずだ。けれど、いまはそういう「間合い」でことばを動かす(考える)ひとは少ない。だから、そういう「間合い」に出会うと、何とも言えずなつかしい感じになる。あたたかい感じになる。「母」に抱きついているような感じになる。甘えながら夢を見ているような感じになる。
 中沢の作品を読まなかったら、また違った感想になったと思うけれど、きょうはそう感じた。
 詩の感想は、そのときの状況で、いろんなふうに変わってしまうものだ。



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