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 あけましておめでとうございます! 園だより、2023年元旦号です。大晦日は、いかがでしたか?
 昨年は、いろいろありましたが、なかでも、『バタ足』シリーズが、さらにたくさんのみなさんに読まれているみたいで、とてもうれしく思っています。

 さてさて、ただいま、朝の5時ですが、かなもり幼稚園は、もう元気に動きはじめています音譜
 きょうから『年長さんのための目覚めのクラス』がスタートします。参加にあたって、みなさんから、たくさんのコメントをいただいています。楽しんでもらえれば、と思っていますニコニコ
 基礎クラス、金森講義室、実践講座もあわせて、あれやこれや〝つまみ食い〟しながら、幼稚園ライフを楽しんでください。ユーチューブも、くり返し聴いて、メッセージをしみ込ませていってくださいね歩く

 5月から、新しい授業もスタートする予定です。詳細のお知らせはもう少しお待ちください。
 また、〝テーマ別〟補習授業の2月スタート、ならびに、新授業の5月スタートにともない、マンツーマン授業の『〝見えてくる〟個別授業』は、3月末をもちまして終了となります。お申し込みはお早めにウインク

 ということで、今年もいろいろやっていきますよービックリマーク

 

 

 

お勉強をはじめる前に

「基礎」より前の「大前提」のお話です。再確認しておきましょう。

赤ん坊のとき

 赤ん坊のとき、人は、「自分」なんて背負っていませんでした。
 赤ん坊のとき、人は、「将来」なんて背負っていませんでした。
 赤ん坊のとき、人は、「責任」なんて背負っていませんでした。
 赤ん坊のとき、人は、「対象」なんて持っていませんでした。
 赤ん坊のとき、人は、「夢」なんて持ってませんでした。
 でも、立派に生きていました。命のかたまりとして、見事な活動をしていました。まわりに喜びを与えていました。
 私たちは、いつから、迷いはじめたのでしょうか?

 

 

『バタ足』シリーズより

 本から抜粋してお届けします。

 

 「体」をもって生まれたときから、「五感」は開け放たれています。どんなことにも触れたままに反応して、自分などというものなしに、ただそのとおりに活動しています。欲求や執着をいっさいもっていません。これが、「思考」のはさまる余地のない本来の私たちの活動のようすです。
 言いかえると、私たちの「体」は、生まれたときから悟っているということです。もちろん、「体」はそれをわかっています。
 でも、「頭」にはそれがわかりません。ですから、「頭」にわからせる必要があります。そのためには、一度、思考から離れるという経験が必要なんです。
『バタ足ノンデュアリティ3 くり返し触れたい《バタ足》メッセージ373選』No.90(97ページ)より


 

 

 

さんのための『基礎クラス』

 

◎毎週土曜日の『金森講義室』の前に開いている、Zoomを使った5分ほどの無料のミニ講義ですニコ 

くわしくは、こちら

 

◎『金森講義室』とは違い、録画動画の配信はありません。ライブ参加のみとなります。

 

基礎をくり返し学ぶ場です。基礎はほんとに大事ですよー爆笑

 

 

 

 

『事実に触れる〝実践〟講座

 

◎〝実践〟に特化した講座です。園長の3分ほどの音声ファイルが、週に2回、メールで送られます。園長と一対一の授業ではなく、グループ授業です。

 

◎ただいま2月分の受付中。詳細とお申し込みは、こちら歩く

 

知ったことを、自分でたしかめることです。それがなければ、「頭のなかの世界」のことで終わってしまいます。それではもったいないですねニコニコ

 

 

 

 

 

さんのための『金森講義室』

 

◎Zoomを使って、月に4回、毎週ライブでお届けするウェブ授業です。

 

◎ただいま2月分の受付中。詳細とお申し込みは、こちら

 

気づき、目覚めの〝土壌〟をつくる授業です。疑問を解く、勘違いをなくしていく場です。何でも聞いてくださいニコ

 

 

 

 

新授業! 年さんのための『目覚めのクラス』

◎Zoomを使った授業で、「年長さんのための」とあるように、『金森講義室』の上位クラスにあたるクラスです。元旦の本日が初回ですビックリマーク

◎ただいま2月分の受付中。詳細とお申込みは、こちら

♪「理解」じゃないのよ、ノンデュアリティは、Ha,ha~♫ 別名〝キャンドルクラス〟ウインク

 

 

 

 

『〝見えてくる〟個別授業』

 

◎園長と一対一でお話をする授業です。「対面」と「Zoom」があります。

 

◎ただいま2月分の受付中。詳細とお申し込みは、こちら

 

〝テーマ別〟補習授業の2月スタート、ならびに、新授業の5月スタートにともない、本授業は、3月末をもちまして終了となります桜

 

 

 

 

掲示板(特別なお知らせや、講座のお申し込み等でこちらから連絡が取れない場合などもここに書きます)

 

◎5月から新しい授業がスタートします。くわしい内容は、『〝見えてくる〟個別授業』3月分(※1月21日受付開始)が満席になって、受付を締め切ってからのお知らせとなります。

 

◎『バタ足ノンデュアリティ3 くり返し触れたい《バタ足》メッセージ373選』kindle版の販売がはじまりましたよビックリマークこちら

 

◎前から、いつかつくろうと思っていた「幼稚園の見取り図」ができましたよ(あくまでもイメージです)ウインク ホームページの『園のご案内・お問い合わせ』ページです。

 

 

 

ユーチューブ『聴くおさらい帳』

 

◎現在の最新のファイルは、『バタ足モーニングメッセージ』です。〝寝ぼけた頭に目覚めの言葉をお届けする〟という主旨でつくってみました。今回お届けしているメッセージは、「個は、思考の産物ですよ。」です。

ことばの意味をとらえるのではなく、メッセージをそのままに受け取ってください。

「ユーチューブチャンネル」または「聴くおさらい帳」ページおいで

 

 

むかしの記事の復刻コーナー

『悩める大人たちのためのバタ足ノンデュアリティ特別講座in軽井沢♪』を文字でお届けします。

 

第3回 「体の感覚」に向き合う重要な理由

 

ふたつめです。


『バタ足』では、「体の感覚」がすべてであるということをしつこいほどにお話ししますけれども、これが重要なことであるということが、いまいちピンとこなくて、立ち往生してしまっている方に向けて少しお話ししておきます。


ピンと来ないパターンには、いくつかありますけれども、よくあるのが、これまでにもさまざまな実践に取り組んできて、同じように「体に意識を向ける」といったこともいろいろやってきたけれど、何も変わらなかったので、「バタ足」も同じなのではないか、と感じている方です。


このような方にお話をお聞きしますと、「体に意識を向ける」ということを、「心のようなものを静めるための手段」としてやっていたり、「思考」や「感情」から目をそらしたり、なくすためのひとつの方法として、おこなってきている方がたいへん多いんです。


これがいけないとか、意味がないということではありませんが、私がお話ししていることは、そういうお話ではないんです。


思考はいくらあってもかまいません。

 

静める必要もありません。

 

「心」も同じです。

 

「心」とは、思考のただの集まりにすぎません。

 

相手にしなくていいものです。


『バタ足』で話される「体の感覚に注意を向ける」というのは、心や思考をどうこうするというまわりくどいことではありません。

 

もっと直接的なお話です。


どういうことかと言いますと、「体の感覚」それ自体が、「全体/静寂/根源」と、じかにつながっているものなんですよ、というお話なんです。


ですから、『バタ足』を知ったばかりの方で、「心が苦しいっていうのに、体の感覚を見なさい、モノが見えているという事実に向き合いなさい、という真意がいまいちわからない」という方にもよおーく聞いていただきたいんです。


また、少し『バタ足』をかじって「体の感覚」に注意を向けてみたけれども、とくに感じられるものがなくて、「で、これが何か?」となってしまい、それ以上すすめずに、つまずいている方にも、よおーく聞いていただきたいお話になります。
 
たとえば、「悩みや問題というのは、じつは存在していない」というのがまぎれもない事実です。

 

「個の自分というものはない」というのも、まぎれもない事実です。

 

「根源では何も起きていない」というのも、まぎれもない事実です。


これらの事実を仮に「中くらいの事実」と呼ぶことにしましょう。

 

多くの方が実感したいと願っている「事実」です。


この「中くらいの事実」に出会うには、「事実」のなかに入って行かなければ、出会うことはできません。

 

当然ですよね。「思考」や「心」という「事実ではないもの」のなかをいくら探しても、「事実」に出会えるはずがありません。


この「事実」のなかに入っていったとしても、「中くらいの事実」は、奥に隠れているのでなかなか出会えないわけです。


けれども、「小さい事実」ならば、そこいら中にいくらでもあるんです。

 

ですから、まずは、とらえやすい「小さい事実」で、「事実」に触れる感覚を〝開いて〟いくということが必要なんです。


たとえば、椅子に座っているお尻の感覚が、しーんとした「全体/静寂/根源」と、じかにつながっているんですよ、などと言われても戸惑うばかりですよね。

 

けれども、感覚が開かれていくことで、それが実感できるようになるんです。


たくさんの「小さい事実」に出会うことで、感覚が〝開き〟、それによって自然に、一段上の「中くらいの事実」も感知しやすくなっていくわけです。


その「小さい事実」が、「体の感覚」なんです。誰でも触れることのできるたしかな事実です。


「中くらいの事実」も、「さらに大きな事実」も、「小さい事実」がある場所と同じ場所にあるんです。

 

それは、ふとしたときに姿を見せます。


けれども、それがあまりにも、さらりと姿を現したりするので、事実に触れる感度が鈍いままだと見逃してしまうんです。

 

せっかく目の前に現れているのに、「で、これが何か?」というふうになってしまうんです。

 

もったいないですね。


たとえば、あなたが画廊に行ったとします。

 

そこに素晴らしい抽象画があったとします。

 

でも、あなたがたくさんの絵に触れていなかったら、その絵は、絵の具をでたらめにぶちまけただけの絵に見えるでしょう。

 

価値があるとはとても思えないでしょう。

 

けれども、あなたがたくさんの絵に触れてきていたら、その素晴らしさや本質がわかるんです。それと同じです。


「体の感覚」という「小さい事実」に触れるのは、「事実」に触れる感覚を開いていくためのもので、それ自体が、「全体/静寂/根源」とじかにつながっているということを感じ取れるようになるためのお遊びなんです。


そして、みなさんが求めてやまない「中くらいの事実」や「さらに大きな事実」に気づくチャンスを増やすということなんです。

 

チャンスは多いに越したことはありませんよね。

 

これが「体の感覚に触れる」ということの真意です。


思考や心のようなものをどうこうすることとは、まったく別のお話なんです。
 

 

つづく

 

 

音声はこちら↓

 

 

 

園長雑記 

「トンボのメガネ」第3回

 私は、若い頃、というか、こどもの頃から、マンガというものに縁がない。テレビアニメとかもほとんで見ずに育った。
 父の教育の影響だ。何かと厳しいところのある父で、テレビアニメも含めて、マンガをいっさい見せてくれなかったのだ。ただ、それに対してとくに不満を抱いたりはしていなかった。むかしから、私は、誰かから何か「こうしなさい」と言われたことに疑問を持ったり、考えたりしない。
 そもそも私は、すごく小さい頃から、何かを欲しがるとか、あれが嫌だとかを、ほとんど言わないこどもだったらしい。それを高校生の頃に母から聞いて、「そういえば、そうかもな」と思った。それと、赤ん坊のころは、夜泣きはしないし、おねしょはしないし、少し成長してからも、反抗期まったくなし、ということで、「あなたは、本当に手のかからない子だった」と母が言っていた。だが、決して〝優等生〟ではない。基本、勉強はしない。いたずらと遊ぶことでいつも頭はいっぱいだった。また、さっき言った「誰かのことばに疑問をもったり考えることはなかった」というのも、すべてに従順というわけではなく、「違う」と思うものは、黙って無視をする。そして、好きなようにやる、そんな感じだった。が、父の命令だけはそうはいかなかった。いつも無言の圧力があったのだゲッソリ
 そんな圧力のかかった〝マンガ類一切禁止〟のなかで、あのテレビアニメ『巨人の星』がはじまった。私は、野球が大好きで、少年野球のチームに入ったばかりの頃だった。見たくて仕方がない。当然だろう。みんなが話題にしているし。
 だが、父に直接お願いするなどということは考えられないことだった。で、母に泣きついた。滅多に頼みごとなどしない私の頼みということで、母も、父に強く頼んだに違いない。
 それから、何日ぐらいたったかは覚えていないが、夜、父が帰ってきて、手渡されたのが、なんと『巨人の星』だった。アニメはダメでも、マンガ本は許してくれたのだ!と、一瞬喜んだのだが、すぐに、違うことに気づいた。堅い表紙だった(ハードカバー本)。そして、タイトルは、『小説・巨人の星』(←クリックして拡大)だった。梶原一騎の原作小説だったのだ。
 これが父の答えだった。
 ちょっとがっかりしつつも、読みはじめると、これがとてもおもしろかった。それと、本のなかに、えんぴつ画の挿絵が、何枚かあって、それを食い入るように見たのを覚えている。模写までした。このときに、自分は絵が得意なのだということがわかり、このあとしばらく「漫画家になりたい」という夢をもっていた。
 一方で、これがきっかけで小説のおもしろさを知り、その後、いろいろな小説を読むようになっていった。絵よりも、文章の方がおもしろくなっていった。自然に、漫画家の夢は消えた。こんなことがあって、私のなかに、マンガが入ってくる余地がないままにおとなになったというわけです。
 ということで、また来週バイバイ

 

 

 

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