鎌倉時代、源頼朝の妻北条政子の長男頼家のお産の前に、その安産を祈願して鶴岡八幡宮の参道若宮大路(段葛)ができたと言われています。父の反対を押し切って源頼朝の妻となった北条政子に、頼朝はどのような気持ちを抱いていたのでしょうか?
「いざ鎌倉」の言葉にあるような武家社会に、心の支えになったものは禅。
鎌倉時代武士に広がった禅宗はその当時何らかの意味で人々の心の中に入り込んでいたのではないかと思いを巡らします。
そしてここからは歴史を振り返り、想像するだけですが、北条政子のお産はどんなお産だったんだろうって?禅は影響したのだろうか?
明日建長寺で歴史を感じながら、北条政子を想像するのもよし、座禅をして,住職さんの講話を聞いて、そして建長寺を散策するのもよし。
帰りは北鎌倉駅までの間にあるお茶屋さんで暖かい抹茶を一緒に飲んで帰るのはどうですか?