天正十年(1582)5月28日は愛宕山連歌会が
開かれた日です
「愛宕百韻」とよばれ、明智光秀が
「時は今 あめがしたしる 五月(さつき)かな」と
詠んだことで有名です
「中国攻めがなかなかすすみません。援軍を」と
秀吉からの要望に家康の接待役から外され
先鋒として出陣することになった光秀が詠んだ句です
「あめ」を「雨」と読むか「天」とするかなど
「これは謀反の決意表明」「そんなことはない」と
現在も解釈はさまざまでわかりません
この4日後、6月2日の早朝に本能寺で
織田信長が落命しました
この季節に雨が降るとふとこの句を思い出します
さて本日の「一ノ瀬芳翠の人生が輝く書道」は
幕末三舟の一人、高橋泥舟です
高橋泥舟 1835-1903
山岡鉄舟、勝海舟とともに幕末三舟の一人に数えられます
槍術の名手で26歳で講武所師範となりました
慶喜が蟄居したときは遊撃隊頭取として護衛にあたりました
維新後、県知事の話を固辞し無欲を通し
生涯表舞台に立ちませんでした
和歌を詠み、謀反を起こした光秀
能書家で、維新後は裏方の人生を選んだ泥舟
どちらも書道が心の支えであったと私は思います