娘は肌が白くて、痩せている。
鼻すじが通って、目はぱっちり、おちょぼ口。
娘の夫も、美人な妻がご自慢の様子。
彼女がデパートでドレスを試着すれば、女優さんみたい、と、店員さんもため息をつく。
ピアノが上手で、おとなしく従順。
小食で、小鳥がつつくような量である。
お姑さんに気に入られて、ほんとうの娘のように可愛がられている。着物を買ってもらったりね。
という娘が理想であったと、彼女の母上は言うそうだ。
が、母には申し訳ないが、どれも全然、私ではない。
申し訳ない?申し訳なくない!私は母の子である。
トンビの子はトンビ。お姫様が生まれるわけない。
彼女はそう言った。
本人のことばを借りれば、彼女はフツーのオバサンである。
夫婦仲は、ほどよくお互い無関心。快適である。
毎日すごいパワーで、電動ママチャリを漕ぐのだ。
服は動きやすさ、ノーアイロン素材が絶対条件だ。
ドレス?そんなアホな。
ピアノはこどもの頃、むりやり習わされていた。苦痛だった。
趣味は韓国アイドル。仕事は介護職のパート。
腹が減っては戦ができぬ。3食、きっちり食べる。
姑は、意地悪だった。
とっくに亡くなったから、もう意地悪すらしてもらえない。
寂しかったのだろう。若かった頃は、姑の寂しさがわからなかった。
今日も母は、入居中の老人ホームの愚痴をいう。
面会に来た彼女は、椅子に座って、それを聴く。
介助が乱暴だと。
洗濯もののたたみ方が気に喰わないと。
月に一度の訪問美容のカットがへたくそだと。
新しいお洋服がほしいと。食事の味が薄いと。
コールボタンで呼んでも、メイドさん(母はなんと、ヘルパーさんをこう呼ぶ!)が、なかなか来ないと。
そんなことない。
娘の立場でみても、同業者の立場でも、スタッフは行き届いている。
ゴハンも美味しい。
母は、自宅ではなんにでも醤油をドボドボかけていたから、薄味と思うだけだ。
新しいお洋服は、今度買ってくるわね。どんな服がほしいの?
母は、ケロリとのたもうた。「薔薇色のブラウス。」
薔薇色とはなんぞや。
「牡丹色の薔薇みたいな色がいいの。」
牡丹なの?薔薇なの?
薔薇の色を牡丹に例えてしまう、母のその雑な美意識にはついていけない。
牡丹にも薔薇にも失礼な気がする。
そして、なぜ私はこの程度のことにイライラするのだろう。
スマホで「牡丹」を画像検索しかけて、彼女の怒りが自分に向かう。
牡丹色の薔薇色のブラウスが、現実に販売されているとしても。
どうせ何を買っても気に入らない。
いつだって、なんだって気に入らない。
私のすること、私のこと。どれも気に入らない。
母の理想ではないのだ。必ず母をがっかりさせるのだ。
母は、言った。
「あなた、もっときれいな色の服を着て、おしゃれをしなさい。そんな安っぽい服!パーマは似合ってないわ。もっと痩せなさい。糖質を抜くといいらしいわよ。」
矢継ぎ早に、アドバイスという名目の毒矢を放つ。
本人は、「娘と楽しく、お洒落トークで盛り上がっている」つもりである。
悪気はない。いつもこうだし、ずっとこうだった。
母が、彼女の高校生の息子のことを、「医学部に入れなさい。」と言い出したあたりで、我慢の限界がきた。
息子は自動車整備の専門学校に進学が内定したのだ、という話を、今、したではないか。
あの子はずっと車が好きで、チビのころはトミカ図鑑が愛読書、今はガソリンスタンドで夢中になってバイトをしている。
孫のことも、知ろうとしないのね。
「~~させる」って言い方が、もうイヤ。型に嵌めるみたい。
認知症のせいではなく、このひとはずっとこうだった。
話をさえぎって立ち上がって、じゃ、また来るわね、と手早く片付け、するりと個室を出た。
あのホームは、物の配置の、ひとつひとつが考え抜かれている。
同業者として、学ぶところがある。たとえば、たとえば。
仕事のことを考えるていで、母の毒矢をこころから一本ずつひっこ抜き、駅まで数分の灼けた路傍に、放り捨て、放り捨て、汗だくで歩く。
汗だくも、母はきっと気に喰わない。
白い服と白い肌で、涼しい顔をして、上品に日陰に座っている娘が理想なのだろう。
涙がボロっと流れたが、真夏のことだ。
汗と見分けがつかないし、化粧が崩れても、そんなもの。