願い〜君が心をくれたから | ひさもとみきしょうじ

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連続ブログ小説「ケータイサラリーマン橋ユキヨ」[あらすじ]東京にある架空の商社「ひさもとみきしょうじ」で新規事業の"ケータイコミック"サイトのコンテンツ営業をする橋ユキヨの明日なき戦いを描く物語?!

あれ?このBGM、何のドラマの…あっ「君が心をくれたから」だ!


今日のNHKさんあさイチは東日本大震災から13年、親子の秘話という事で震災後の13年をどう生きてきたか、いくつかの親子の話を紹介していたのですが、その冒頭に流れたBGMがフジテレビさん月9ドラマ「君が心をくれたから」のもので…多分合ってると思うんだけど


あぁあさイチのスタッフさんの中にも私と同じ感想を持った人がいるんだ!と思って


「君が心をくれたから」第1話を観た時からこの話は大切な人を遺して行かねばならなかった人の想い…遺された人達への救いの物語だなって


だから1月1日に能登半島地震が起こったこのタイミングでのこのドラマに複雑な気持ちになったのですが


幼い頃の母親からの虐待から自身の存在意義が見い出だせず、希薄な存在として生きてきたヒロイン·雨と、その雨を好きになって、生きていていいんだよ!と力強く叫び続ける太陽、その太陽もまた子供の頃、自身が原因の事故で母親を死なせていて…そんな二人の、自分より大切な相手の為にその総てを捧げる


太陽が交通事故にあってその命が終わろうとした時、雨の前に黒服の男女が現れ、これから順番に五感を失くしていく代わりに太陽の命を助ける奇跡を提案し、雨はその奇跡を受け入れる、そこから一つひとつ五感を失くしていく雨とやがてその事実を知り、苦悩しながら雨を支えていく太陽、そんな二人の物語が展開されていくわけですが


五感を失くしていく雨ちゃんが淡々としていて、もっと動揺して泣きわめくのが普通じゃないの?!…そこら辺が数字にも反映して視聴率が芳しくないのかなとも思いますが


これは幼い頃の母親からの虐待で雨の心が一度壊れてしまい、感情の発露がうまく出来なくなり、大人になった今でも感情の動きがゆっくりしているからでは…こういった点も視聴者を選ぶドラマだなと


そして今日第10話、残された視覚と聴覚の内の視覚を失くすその日に開催される地域のお祭りで、新人花火職人である太陽の初めての花火を雨に見せる、それは二人の10年越しの約束で、それが巡り巡って雨が視覚を失くすその日その時になったわけですが、今回はより直接的な表現が


雨の前に現れ、雨の五感と引き換えに太陽の命を救い、一つずつ五感を失くしていく雨にこれまで寄り添い、時に励ましてきた黒服の男女の内の一人·千秋という女性は、実は太陽の母親で、しかし親子の名乗りをした瞬間千秋は月夜の明かりにとけて消えてしまう


雨が自身の五感が失われる事を太陽に信じてもらう為に二人と約した奇跡を告白し、その時点から太陽も二人を認識し、その内の男性·日下から太陽が母と呼んだ瞬間千秋が消えてしまうのを聞いた事で、名乗りあえずも親子の情を通わす太陽と千秋


千秋も母親の情として太陽の命を助けたくて、だから息子の為に五感を差し出してくれた雨に感謝して、だから寄り添っていた面もあったのだろうし、また太陽は幼かったからか、或いは事故…花火工場の火災だったのですが、そのショック…自分を助ける為に母が亡くなった事を潜在意識では分かっていて、だから母親の顔と共に事故の記憶を意識下に封印して、だから最初千秋の顔を見ても母親と分からず…実際父親も太陽を傷つけない様母親の写真を泣きながら処分して、母親が亡くなった時赤ちゃんだった妹の希望で実家から写真を取り寄せた事で、太陽も千秋が母と認識する


結構苦しい、というかまどろっこしい説明や設定、最初の何話かは太陽と雨が出会った高校時代と現代、子供時代や少し過去など回想と現在を行ったり来たりする演出(脚本?)が分かりづらく…そこら辺も試聴者離れの一因か、ちょっと稚拙そうでなければ独り善がりとも思いますが、それでも


お祭り当日、夜の花火打ち上げに向けての準備中強風で倒れた機材の下敷きになって太陽は負傷して病院へ、一方雨は視覚を失くす前に母親に会っておこうと母が入院する心の病院へ行き、その帰りに強風に大雨が加わった天候の為に道路が渋滞、足止めされる


そして大雨で花火打ち上げが中止の危機に、視覚を失う雨はこの機会を逃したら太陽の花火を見る事が出来ない…諦められない太陽は日下と千秋を呼び出し、自分と引き換えに大雨を止ませて欲しいと頼む、私達に奇跡を起こす権限は与えられていないと謝る日下に対して千秋が


太陽に自分が母親である事を明かせば私は月夜の明かりにとけて消えてしまう、ならば大雨は止むはずと言った次の瞬間、母親だと一気に告げる、またも自分のせいで母親を死なせてしまったと泣きじゃくりながら謝る太陽に、母親が息子から欲しいのはそんな言葉じゃない!と優しく告げる千秋


頑張って泣きながら笑顔を作って、ありがとうと言った太陽に、立派になった息子に逢えた感謝、もう思い残す事が無い気持ちと、雨の願いを叶えてとの言葉を遺して、走り去る太陽を見送りながら、月夜の明かりに消えていく千秋


「太陽くんの花火を見せて」という雨と太陽の指切りは「花火職人になる!それでたくさんの人を幸せな気持ちにする」という太陽と千秋との指切りでもあって


しかし千秋が消えていく描写をしっかり描く事はせず、場面は花火を見る待ち合わせ場所にそれぞれ向かう太陽と雨へ


そして、千秋の命を賭した行動で天気は回復、花火師である父親と同僚達の頑張りで無事太陽が初めて作った花火は打ち上げられた…なのに最後のアクシデント、彼氏の元に掛けていく女の子にぶつかられバランスを崩してしまい…雨は既に触感を失くしていて足許が覚束ない、結局花火を見る直前に視覚を失ってしまう


花火とは違う方向を向きながら、泣きながらも最高の笑顔で花火の感謝を伝える雨に、花火を見せる事が出来なかった事に気づき、でもそれを雨に気づかれぬ様むせび泣く太陽、どうして泣いてるの?と雨、花火に感激してと嘘をつく太陽…千秋が再び太陽の為にその命を賭けたのだから雨に花火を見せて欲しかった、けれど


それが、現実なのだと


13年前の東日本大震災、当時の私は仕事で東京の端に居て、家には母ひとり…母は阪神淡路大震災が起こる遥か前に関東に越している、つまり「関西は大きな地震は起きない」と言われていた時代に関西に暮らしていたので地震が本当に苦手で、弟も知的障がいがあってパニックになっているかも、心配だった私は歩きと部分的に動いてくれた地下鉄で、夜通し掛けて明け方千葉県の我が家に帰宅して…母も弟も無事で、倒れ落ちた仏壇を弟が元通りに置いてくれたり、とても母の力になってくれた様で感謝


なのにその6年後、胃潰瘍を繰り返した末に癌になり、その患部を特定しようとしていた矢先に誤嚥性肺炎になり…嫌だと言っていたのに、ナースステーションに近いからよく目が届くとの理由で勝手に大部屋に移動させたのに、母が嘔吐しているのに気づくのが遅れ、なおかつ吐瀉物を誤嚥している事に気づくのにも遅れ…私は今でも看護師を病院を憎んでいるけれど


早朝主治医から電話が掛かって来て、母が誤嚥性肺炎になったと、人工呼吸器を付けるか決めて欲しいと、付けなければ母は亡くなると…即決せねばならず、結果母は亡くなるまでの三週間、最期の最期まで苦しみ抜いて死んだ。そこによく言われる「安らかな顔」なんて存在し得なかった


けれど決めたのは私、仕事にかまけて一週間に一回しか見舞いに行かず、入院中に母が失語症の様な状態になっていたのに何の手立てもせず、最後の会話は誤嚥性肺炎になる前日夜、言葉を失っていた母が私の「何かあったら遠慮せず看護師さんに知らせるんだよ」との言葉に元気良く「うん!」と答えた…そもそもその一年前母が嘔吐して何度めかの胃潰瘍になっていたかもしれなかったのに私は大阪へ、帰宅後病院に連れて行くも病状は悪化の一途、ひとりではトイレにも行けない、食事どころか水分もとれない、ついに意思の疎通も怪しくなっていたのに私はその現実に向き合えず、11月23日会社休みの祝日、母の意識が無いという段になって119番、三日間点滴でドーパミンを入れ続けて、何とか意識を取り戻してくれて、そこから三ヶ月掛かったけれど退院してくれたのに


亡くなるまでの三週間は毎週月曜日に比較的病状が良くなるのだけど、だんだん悪くなっていて金曜日に命の危機になる、というのを毎週繰り返し、途中でかなりしっかりと意識を取り戻した時もあったのだけど人工呼吸器を付けているから会話は出来ず、それどころか意識を取り戻した事がかえって母を最期まで苦しめる事に…看護師さんが毎日三回痰吸引をするのですが、これが相当に苦しいらしく、そこまで意識がはっきりしていなくても痰吸引の時は毎回苦悶の表情を浮かべ、唇は痰吸引の管で毎回傷だらけにされて


やがて点滴が健康保険の上限になり入れられなくなり、入れなければ浮腫みますよと、輸血をすれば浮腫みは止められると主治医に言われ、一旦は決断するもネット検索で輸血が癌を一気に進行させる可能性がある事を知り断って、結果母は浮腫み、糖尿病の状態になり毎日インスリン注射を打つ羽目に、一本一本指に打っていきついに打てる指が無くなってお腹に打って…もう母の身体はボロボロ、目茶苦茶な状態になって


きっと母は自分を苦しめる主治医や看護師に反発し、その言いなりになっている私に失望し…意識はあるのに主治医や私の呼びかけに反応しなくなった、亡くなる前日深夜病院に対して抗議の意思をとある方法で示し、最期は若くてきれいな、桃月なしこさんに似た看護師さんが勢いよく音を立てて病室のドアを開けた瞬間、ベッドサイドモニターが0を示すアラートを鳴らして


桃月なしこさんがグラビアと看護師の二刀流と聞いて反感を持った当時の私…言い掛かりそのものですが


最期の最期まで母はひとりで戦った、それは壮絶な死だった…総て私のせいなのは分かっていて


せっかく震災では助かったのに…確かに震災で亡くなる地域では無かったかもしれないけれど、液状化現象で電信柱は全て斜めになり、一軒家の地域の家々は全て沈み込み…被災地なのは間違いない、その時亡くなっていた可能性はあった


なのに結局母を酷い死なせ方をしてしまった


阪神淡路大震災、東日本大震災、そして能登半島地震、様々な災害、災害じゃなくても


大切な人を助けられなかった、自分のせいで死なせてしまった


「君が心をくれたから」はそんな思いを抱えた人達への願い


亡くなった人はあなたを思って亡くなった、そして今もあなたを思っていますよ、という希望、救い…それが伝えたい事なのではと私は思って


そんな事言われても時間の経過じゃなく人の思い…心の傷は人それぞれであって


私も母を死なせてしまった思いと共に残りの人生を生きていく


合掌