絵を描くのが好きだった幼少期。アジサイをよく描いていた。


雨の日に、様々な表情を見せてくれるアジサイ。その青い色に私は魅せられていた。


どれほどの数を描いたかは正直わからないし、覚えていない。


それが影響してか、『青』という色に当時から強い関心を寄せていた。


またこの頃は、乗り物にも興味があった。パトカーや消防車、バスやトラック、それに電車や汽車。


母方の祖母に買い与えてもらった、Jeepのおもちゃ(水色のボディー)や近所の家にあったジオラマと鉄道模型を観察することに趣味とか興味といった大半の感情を注ぎ込んでいた。


近くの駅に行って、出発する汽車や列車を眺めて、車掌さんに手を振って喜んだり、日産のセドリックやアメ車を見かけて興奮していた。


プラレールを広げて独自の路線開拓に勤しんだり、LEGOブロックを組み上げたり、絵を描いたりして、自分の世界観を形にしようとしていた頃だ。


そんなある日、『飛行機』に乗るチャンスが訪れた。


沖縄訪問が決まったのだ。


飛行機なんぞ、自分が乗ることは無いと思っていた。所詮は映画やテレビの中の乗り物だと。


人生で初めての飛行機、そして初めての沖縄。


出発当日。夏の空は、容赦なく自分に強い陽射しを照りつけていた。


空港に到着し、保安検査場を通過して、搭乗口へ。その時の機材は、正直覚えていないが、写真を見る限りボーイングの機材だろうと思う。


その飛行機は、白いボディーに真っ青なラインが2つ描かれた機体だった。


尾翼には『ANA』の文字。初めまして、の瞬間だった。


機内に入り、窓側の席についた。


そして、離陸。大空へと舞い上がった。


しばらくして、機内ではエンターテイメントのドラえもんの映画が放映され始めた。だが、それに飽きたのか、私は時間を持て余していた。


そんな時、キャビンクルーの女性が箱に入ったおもちゃを持ってきてくれた。


ブロックを組み立てて遊ぶ飛行機だった。


テーブルを広げ、飛行機を完成させ、窓にかざして遊んだ。


沖縄上空に差し掛かり、ベルト着用サインが点灯。飛行機は徐々に高度を下げ、那覇空港へと着陸した。


ターミナルを出ると、ANAハローツアーだったかスカイホリデーと書かれた真っ赤なバスが待っていた。


バスは走り出し、本島を北上し始めた。


どのくらい走っただろう。


突然、目の前に、エメラルド色に輝く海が広がった。


そして、バスは沖縄県恩納村に開業したばかりの全日空万座ビーチホテル(2024年現在、ANA Intercontinental Manza Beach Resorts)に到着した。


中に入ると見たこともない吹き抜けが、はるか上まで続いていた。


前面ガラス張りのエレベーターもあった。


碧い海、蒼い空、そこに聳える白亜の宮殿ともいうべき建物だった。


相当な興奮だったと思う。エレベーターで上がったり、下がったりして遊んだ思い出がある。


この訪問が人生で初めての沖縄。


売店にガラスを使ったキーホルダーが売られていた。


覗き込むと、青い色が様々な表情を見せていた。


1つ1つ手に取り、青色の雰囲気を確認したのを覚えている。


ひたすら、ただひたすら、『青』。


空も海も、キーホルダーのベースも、飛行機の翼も、青尽くしだった。


帰りの飛行機もANAだった。


同じおもちゃを復路でももらえた。


言うまでもなく、私の道具箱にはANAと書かれた飛行機が2機、常時駐機することになった。


出かける時はJeepのおもちゃとともに、持ち出された。


この頃から、私が描く絵に青いラインが入った飛行機が登場し始めたようだ。


これが、私とANAとの出会いだったと思う。


そして今、私は、同じ青い翼で、日本全国、世界へと羽ばたいている。