sd-1154〜冬に桜は咲いて散っていく。誓った約束は散らすわけにはいかないけれど。 | 鈴木勝吾オフィシャルブログ「Smiling days★」Powered by Ameba

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舞台「PSY・S」

千秋楽を終えて、実はまだ、実感がない、12月5日現在である。

まずは劇場まで足を運んでくださった皆様本当にありがとうございました。
そして沢山のご声援ありがとうございました。

おかげさまでなんとか、最後まで走り抜けることができました。


ディスグーニーへの乗船は三度目にして三連戦。

最初に船に乗せてもらった3月「Phantom Words」
2度目の乗船主役を渡してもらった7月「PANDORA」
そして今回の「PSY・S」

有り難くてありがたくて、当たり前でない、とても誇らしく胸がギュッとなる想いです。

あんまり胸がギュッととかいう表現は使わないのだけれど、思い起こせば起こすほど、そうなってしまう。


毎度挑戦しなくてはならない役をくれる西田さんに感謝。それでいて、お前のまんまだろう、とか言って、それでも、お前の〜がうるさいって、結局は役について感じてること考えてることをちゃんと聞いてくれるんだ。それもロマンを持ってね。

演劇でお芝居をさせてもらっていてそれは当たり前に仕事なんだけど、僕は「お仕事」という言葉が大嫌いだし「PRO」という言葉も大嫌いだ。
もしそんな言葉を使われるなら免許制にしてくれ。
俳優という仕事をさせてもらってるけど、それは人それぞれだし、生き様だし。向き合い方も方法も人の数だけある。そこにロマンなく話をすればたちまち(これは僕だけかもしれないけど)冷める。役者が役者をやっている理由も意義も人それぞれだ。だから浪漫や輝きを持って話す人間に僕は惹かれる。
誰かがいう、プロやお仕事のスタイルに僕が当てはまらないなら一緒にやらなきゃいい。もちろんそこには作品を創る上でのコミュニケーションあってのことだけどね。
伝えたいもの表現したいものがなくただプロダクトになるのが、「PRO」であり「お仕事」ならやっぱり僕はそれには向いてない。
そんなことより清廉潔白、聖人君主であることを求められる最近のご時世にはうんざりだ。
何するにも、仕事だからプロだからは理由にならない、「その人のために」とか、「この人と一緒につくるモノだから」という理由だ。
もちろん「お金もらってんだから仕事だろプロだろ」という、言葉も聞こえてきそうなものだが、だとしたら、その逆原点である"お客様にお金をもらうからには"といった部分への価値観すらモノを一緒につくる人達とは共有したいのだ。そうすればそこのズレは少ないものになるだろう。

そんな頑な僕を危ういと心配してくれる仲間もいる。

それでいいじゃないか。

それは決して自分を認めてくれる人達としか一緒にやらないとか、そんなことではない。世界が狭くなるとかそんなものじゃない。

ちゃんとした出逢いさえあれば、ちゃんと人と人は繋がれるから。

だから、出逢って一緒に何かモノを作らせてもらうときは誠心誠意、俳優として僕もやる。
それでいいじゃないか、ということである。

"ディスグーニー"という場所はそんな船である。こんな僕が愛してやまない船である。

その時その瞬間最高の航海をするための仲間が集う場所である。仲間に恥じない俳優、人間でいたい場所である。

さて「PSY・S」とても濃い航海だったと思う。

航海を冒険をしていれば色々ある。人生だから。
しかし色んなものを飲み込んで発見して出逢って1つの航路が見つかる。僕にとっても作品にとっても。

大切な作品がまた一つ増えた。

兄さん姉さん方の背中がものすごく大きい。

風を受けて傷を負ってそれでも前に進もうと噛み締めた奥歯から血が滲んでいるだろう。極端に甘えというものを嫌い、研ぎ澄ました刃を持っている。それでいて狡猾に、しかし大胆に稽古場に立つ。

とんでもない。

甘えや迷いが渦巻く中でないている僕を本当の優しで包んでくれるんだ。

「馬鹿なことするんじゃない」と。

強くならなけばいけないのだと否応なしに思い知らされる。

そして同時に、何もかもを疎かにしてはいけないのだ、と。

人が変われる変われないの話をよくするけれど、傷ついて戦えば闘うほど人は頑なになっていく。
それまでの自分を否定したくないから。

でもこの船は、否定も肯定も認めてはくれない。
ただ"俳優"であることの勝負だ。
それは俳優としての顔と、俳優として自分の人生をどう歩くべきか、という勝負だ。

この船に乗っていると
船の外に出れば波があるのは当たり前でその流れをコントロールすることなど人間には到底できないように、今目の前にある現実はどうすることもできない、だったらその波をどう越えてみる?どう乗りこなしてみる?あるいは諦める?そんなことを常に突きつけられているような感覚になる。
しかし当然海賊たちは酒盛りをする。それと同じように違いを船員として認め合いけなしあいながら励ます。波なんてもんは皆んなで越えるんだ。1人で辛くて当たり前、厳しくて大変で当たり前だ。それはお前の人生だ、ただ船に乗ったら仲間だ、共に戦おうじゃないか!!と言わんばかりに、優しい言葉や態度ばかりでは当然ない、しかし存在そのものが、優しさと思いやりに溢れている。

それがさっき言った本当の優しさってことだと思うんだ。

まるで本当の海賊のように粋な言葉で口角をニヤッと持ち上げながら、やろうぜっていこうぜって。

丘にいたら僕は何もできないのかもしれない。
俳優でなければ何もできないのかもしれない。

まだまだそこで勝負し続けなければいけない。アンバランスな世界と価値観に右往左往しながら、見失ってはまた見つけの繰り返しだ。

圧倒的にバランスを失いかけた僕はまた演劇に救われた。いや救われたと思いたいだけなのかもしれないけれど、それでも。

甲板の上から見た海原は太陽の光をことごとく跳ね返し眩しく僕らを照らす。その光景を見る時、次の航海を荒波を思うのだ。

観客席はいつも眩しい。

その光に憧れてまた。

また最高の仲間に逢えるように。



その時仲間に恥じない自分であれるように。

ひと時の恥はしっかりと身体に刻んだ!
自分の愚かさも小ささも甘えも弱さもすべて。

それは生涯忘れることはないだろう。



そして海賊は宴を楽しむ。海賊は歌うんだ。

いつかきっと物語があなたに届くように。