sd-1152〜寒気と共に向日葵はその季節を終えて、蝙蝠達は姿変える。 | 鈴木勝吾オフィシャルブログ「Smiling days★」Powered by Ameba

鈴木勝吾オフィシャルブログ「Smiling days★」Powered by Ameba

鈴木勝吾オフィシャルブログ「Smiling days★」Powered by Ameba

こんにちは。さようなら。おはよう。おやすみなさい。変わらぬ時間を刻み季節は巡る。

12年でも、5年でも、3年でも、季節はあっという間に。
夏でも冬でも鍋を囲んで人々は出逢う。鍋を作っては渡し合い、束の間の談笑は心の安らぎだ。祝い事を前にして古灯台に火を灯せば、それは急な嵐を呼び込む兆しとなろう。凸と凹を合わせてこそだと団結する、その春の嵐を乗り越えんとする結束の美しさたるや、人間の真実であるとさえ思える。

だが、春が過ぎ夏が終われば向日葵は色を変えるのが世の理だ。

折り重なった季節は実りを与えず、向日葵の誰もが認める秀逸なる美しさはそれを何一つ変わらずに証明してみせた。

砂漠に根を下ろす覇王樹は砂漠でしか生きられず、過剰な水はそれを腐らせるし、蝙蝠共は暗い洞窟に巣食い闇の中でしか舞う事しか許されない。そして、群れを成せなかった狼はただ生きる為、枯れた森を獲物を追い求め独り走り続けるしかないのだ、ということを。

何一つ変わらず立ち帰っただけである。

時を飛び越えるなど、未来へ行くなど、夢のまた夢だと思っていたが、そう考えると。何かとてつもない閃きをして未来を想像し夢を描く時それはひょっとすると時を越えているかもしれない。

あっという間に、以前の自分にもどり自明の理を突きつけられれば、それは過去へ戻った事なのかもしれない。

人間の思考と魂はとてつもなく有能である。

それを人間自身が使いこなせるかどうかは別として。

往々にして、人はどうにかできる何かをどうにもせず悔やみ。自分にはどうにもできぬことで悩むのだ。

未来は思い描くことも大事だが、今を着実に生きることの方がより大切だ。

いつでも向日葵は自らがそれと認める太陽の方へと顔をむける。雨の中、羽を濡らした小虫には結果目を向けず。

花は蜜を吸いにくる、少年のような蜂一匹にはそれをむけることはなく、

獲物を追う狼に黙って捕まってやる奴はいない。
闇を舞う蝙蝠が休むのは暗い洞窟の中だ。
荒野で生き抜く覇王樹は渇きでこそ強く根を張る。

生き抜くためにはそれしかないと知っているからだ。

安寧の地は幻想であると、信じ切ってしまっているし安心、安全、平穏、安息への恐怖が世界の色を決めている。

その幻想が、実在するオアシスであると信じれば弱さへの始まりであると思い込んでいる。


一度太陽の光を知れば闇を飛び交う蝙蝠には目を瞑り、また太陽が昇ることを望む。それが向日葵だ。

だが珍種、貴種もある。その唯一であるはずの太陽から、太陽を裏切り闇へと顔向けるものだ。
昼に咲くありきたりな向日葵ではなく、闇の中でもその闇を照らす唯一の太陽に自らがなると望みその誓いをたてる"希望の向日葵"だ。
蝙蝠達はその光に戸惑いながらもその唯一に希望すら感じるかもしれない、だがその希望が闇に耐えきれずまた昼の太陽へと顔向きを変えることを恐れる。一度の裏切りはまた次の裏切りを呼ぶことをどこかで感じているからだ。言わんこっちゃない!それは暗がりを捨てまた陽の当たる場所へと戻る。
闇がどれほど暗いものなのか、それが幾月も幾年も続くことを知らなかったのだろうし、闇で暮らす蝙蝠に比べれば、向日葵は芽を出した瞬間から降り注ぐ光や水に恵まれて育ってきたおかげで、耐え忍ぶことに不慣れだったのだ。闇で過ごしたそれが無事にまた太陽を見つけることができるかは知らないがおそらく世の中そんなものである。一方、蝙蝠はまた闇へとそそくさと逃げ戻っていくだけだ。

そんな風に、自然が自然に、いやそれは不自然に蠢く間、姿を変えたまともな人間達は、ちんたらちんたらと進みやしないその自然であり不自然な蠢きに愛想をつかし、嵐を乗り越えんとしたかつての美しさは何処へやら、立ち向かうどころか家に閉じこもりまた鍋を突き始める。遠くで鳴る声には目もくれず。それは性急であり怠惰でもある。そしてまた冬を越え夏を越え…預かり知らぬ所へ歩きだす

蝙蝠達はというと、闇の中でとうとう狂いだすのだ。闇の中を飛び回っていた彼らがもはや舞うことはなく、ただ雁首を並べて逆さに宙吊り。
暗闇の中で身動き一つ取ることなく、ただ飛び立つ瞬間を待っている。昼の夢も夜の夢も眠ることなく求め続けて、間起きる現実はもはや夢のように消えていくだろう。
また、光を拝んでやる!だが只では拝めぬ。と天邪鬼。
夜の夢も昼の夢も。
昼を舞う蝶の如く羽ばたけたら。と蝶に憧れるのだ。
でもいやそれは流石に育ちが違う。
ぶくぶくと徐々に身体を大きくして闇を膨らましてきた蝙蝠。蝶は卵から生まれ蛹になれば、それはその時期だからと守りも固く、それを捨て去ればこれまた秀逸で美しい羽を広げて空へと舞う。羽音一つ立てずに。
その過程の節目で"今まで"を脱ぎ捨てそれまでのことをすっかり忘れ去り、新しい姿へと生まれ変わるのだ。それを多くの人間が美しいと褒め称えるというわけだ。

それに対して夜のそれは一度飛び立てば不気味で醜悪な羽音を鳴らし、人間達から疎まれる存在だ。
蝙蝠は羽をたたんだ。光に照らされることすら許されず、蝶に憧れれば自らの羽音が嫌になり、飛ぶことすらやめてしまってじっとうずくまる。
舞えなくなれば、もはや洞窟を抜け出すことは叶わない。

それでも季節巡る。留まることことなく。
滞留することなく川は流れ、時計の針はその力の限り時を刻み続ける。

ただ一つ、洞窟の中では季節はなく水溜りがあるだけで暗闇の中では、時間は"無"だ。

その無の混濁の中。蝙蝠達は時間を忘れ、なんなら時間にも忘れられ「時」というものに逆行するものへと姿を変える。

闇に眠っていた蝙蝠を偽りの光で叩き起こせばどうなるか。

無表情に洞窟から這い出て来るそれは、他の蝙蝠達をそれがあたかも闇そのものであるかのように身に纏い、枯れた森で孤独な狼から獲物を略奪し、履き物もなく砂漠に出れば覇王樹を根こそぎ引っこ抜いては素足で踏み潰す。

どす黒くも鮮明な血色を纏った足で向かうのは一面の向日葵畑だ。
赤黒い足跡を残していくそれは、心移ろう花でも憧れた蝶でもなく醜い蝙蝠ですらない。
それはもう、人間に怯えることもなく、偽りの光を信じることもなく、蝶のような美しい羽に憧れることもない。ただの化け物だなのだ。

それが畑に足を踏み入れるや否や、その殆どを怒りの表情で薙ぎ倒し、美しい黄色を朱で蹂躙し橙へと変貌させていく。 



世界から色を無くし、無を望むのだ。



それでも世界で最後の色になった花を一輪。今までのそれとは全く違う慈愛に満ちた手つきでそっと摘む。中心で佇み、未だ美しい黄色を保ったままの向日葵を一輪、あの向日葵だ。手に握り締め言葉を交わす。

今までの傍若無人ぶりはどこへやら、怒りの角はみるみる無くなり、不信で押しつぶされそうな盛り上がった背中は小さくなっていく。世界の全てを傷つけんとする鋭く尖った爪と牙は丸くなり、叫び続けて上がり切った広角は、今や優しい微笑みに変わり、その微笑みを手の内の向日葵に向けている。
ソレは気付いたのだ、「あの向日葵が、闇を照らす唯一の太陽になると希望になると光になると、そう誓っていたのは偽りではなかった。ただ自分が臆病で信じ抜けなかっただけではないか、何故ならその花は今もなお輝きを失わずに、こちらを見上げているではないか。暗い洞窟に浸食され自らの生き方を決め込んで生きていたのは我々蝙蝠であった偽りを述べたのはあちらではなくこちらであった」のだと。
「そう気付けば、心の内は優しさで溢れ出し、暗がりの中でも自らも光になれる気さえして来るのだ。洞窟で蝙蝠としてどうすればよいのかと頭を抱え、ここでしか生きれないのだと、光を馬鹿にし、蝶に憧れるだけで何もしなかった愚か者は私ではないかと笑えてくるほどだ、ただ今をもって私は優しさを知ったのだ。手にしたのだ。あの光のような、そしてこの向日葵のような優しさを。向日葵は何一つ変わらずに咲いていたのだ」
そう彼は口にしたのだ。
彼?
彼?は言葉を口にした。
化け物から姿を戻したそれは、けたたましい音をたてる醜悪な蝙蝠ではなく人間の形をしている。

彼自身もあまりのことに言葉にできずにいたが、しばらく手に握り締めた向日葵の花を見つめた後、ぽつりとこう呟いた。

「やっと洞窟から抜けたのだ私は。だが、それは遅過ぎた」


自らの愚行によって

辺りにはもうなにも残っていないのだ。

繋がれるものも場所も。

洞窟から出たところで、闇から抜け出せるわけではないのだ。