sd-1147〜旅の中。 | 鈴木勝吾オフィシャルブログ「Smiling days★」Powered by Ameba

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暑さにしがみつかれ布団をはねのけたのは朝の8時だった。

本来ならばあと数時間はベッドの中で心地よさと安らぎと休息に包まれ違う世界にいれたはずなのに、やはり気候には敵わないようで、エアコンをかけて寝たとしてもタイマーをかけるので朝方には暑さの悪魔に重くのしかかられ、のっそりと身体を起こすことになった。

東向きの窓はきちんと熱線を部屋へと送り込んでくる。カーテンを閉めきっていてもやはり確実に。

夢はスペクタクルだ。

とてつもない現実味を帯びながら現実には到底ない、映画のような展開に、こんなお話の映画なり舞台があったらもう一度見たいと思うのだ。

観たいと。

というか、いや、言うなれば、本気で夢日記をがんばって書いてみようか。
なぜ夢は現実にもってくることができないのだろか。なぜもあんなに儚く消えていくのだろうか。
うわぁわ「人偏」に「夢」だよ。どうゆうこと?漢字というのは実に雄弁だ。

なんて起き抜けに考えを巡らせた。

最近は少し前に比べれば時間に余裕がある。とは言え時間に余裕があるのならば、さらにtoDOリストをつくれば、余計色々な事ができるはずだ。
時間が進むのが早いし月日が経つのははやい。
あっという間に、終わりに向かっている気すらしてくる。
限られた時間、限られた人生の中で誰と出逢い、誰と話し、何を成して、何を楽しみ、何に泣き、何を残せるのだろうか?
それは計画的に生きて行こうとかそういう類のものではなく、本当に自分は何がしたいのか、何に満たされるのかという自分の欲求についての考察だ。
その日一日一日は充分に楽しく、もちろん楽しいだけじゃないが、がんばったり踏ん張ったりも生きてる感があって大きい意味で楽しい。それでも大きく人生を俯瞰した時、静止してるわけではないが、もう少し人生に変化を求めたりする。何か可視化できるもしくは体感できる何かを求めてるというか。なんかそんな感じだ。

1つは体感するということ、文字通り体で感じることだ。
そんな考えるよりも行動すべきと即座に結論つけられるほぼ無駄な思考をおしのけて僕はベッドからでた。
大きくあくびをひとつ。
そして、毎朝飲んでいる白湯を飲むために、ホテルに備え付けてあったクリーム色のともホワイトともベージュともなんとも言えない色のポッドに水を入れ、湯が沸くまでに部屋に唯一ある、ベッド越しの窓のカーテンをあけて街を眺めた。馴染みのない風景だった。



僕は福岡にいた。

それは福岡の街並みである。

なぜかって?

それはね。


実は舞台「天守物語」の大阪公演を終えて、1番楽しみにしていた事があった。そのためだ。
大阪千秋楽を終え、そのまま新幹線で福岡へと向かった。

それはミュージカル「Les Misérables」の観劇だ。
数年前にも一度観たことがあった。が、どうしても今回観たい理由があった。1つはそれは戦友の1人、相葉さんが出演していたからである。
凄まじい研鑽を積んで、覚悟を決めて昇り勝ち取ったその姿を目に焼き付けておきたかったのだ。
それはそれはもう想像以上に心が動くわ動くわ。
やはり特別な仲間の勇姿は魂に響くものだ。もう一つの理由は今の僕がこの作品を観たらどう思うのかということ。無論、キャストや配役が変わっているので単純には比較できることではないけれど、4年前?であったか、その頃の僕と今の僕はとでは変わった部分も多々ある、その今観ておきたかったのだ。

東京公演、名古屋、大阪と見事に観に行くことができなかった。まさか博多の地まで赴くことになろうとは想像もしてなかったが、舞台は一期一会。思い切って観に行くと決めた。唯一この日ならいけるという日に決め、もうそれからは楽しみで仕方なかった。

自らの怒涛の夏の最後の作品が終わりその締めくくりに観る舞台。なんとも贅沢で晴れ晴れしい気分だったか。

ありがとう、相葉さん、ありがとう、Les Misérables。

Les Misérablesを観たあとは、相葉さんとご飯共にして様々な事を話す。彼も15周年という節目を迎えた。10年前に一緒に共演して以来は同じ作品では会えていない。それでも僕も10年歩いてきて、こうして戦友であり先輩である彼と言葉を交わせるのなんとも感慨深く、やはり活力になるのだ。
この道を歩いている人と話しているのは僕にとって今一番有意義なことかもしれない。
僕が今それに夢中だから。

とにかく最高の時間を過ごすことができた。

そして、翌日は弟に会うという予定もいれていた。今は結婚しているから、弟もそうだけど、姪っ子や、義理の妹に会うのもすごく楽しみであった。
結婚式には舞台本番が被り参加することが出来なかった。
こと舞台本番に関しては、作品を断るか否かということになってしまう。マネージャーと相談し、弟に断りを入れ舞台出演を決めた。
その頃、仕事がんばってね、と言ってくれた弟の言葉は今でも忘れない。
さて、姪っ子の成長は早いもので、ジェスチャーや簡単な言葉でコミュニケーションがとれる。それだけで歓喜。
義妹も子供が生まれる前より、女性として芯のある佇まいが印象的になっていた。母は強し。
子育てというものがいかに大変なものであるか、一方で、子だけでなく、その過程にいることで親もまた成長するのだということをまじまじと感じた。
時々3人の写真や、姪っ子の成長を知らせる動画などが、家族のグループトークに流れてくるのだが、そこに写るその家族の姿に、かつて、僕らもこうして両親に愛され育ったのだなと、再確認させてくれる。家族ってすごい。

久々に弟と夜遅くまでゲームをして、朝は妹が果物を剥いてくれた。
それだけでも、普段の僕の生きているリズムからすると全然違う心をしていたと思う。きっと顔さえ違う。

久々にあう弟達から、多くのものを感じ胸に留めることができた。
家族はありがたい。

全ての逢瀬を終わらせ、帰路につく。

1人で乗る飛行機はいつぶりだろうか。

時間を思い出す。

舞台出演が怒涛のように過ぎ、その束の間、誰でもない、いや、役者鈴木勝吾というものは脱ぎきれなかったけれど、to doのことを羅列するよりも、目の前の出逢いとそれを作ってきた過去の出逢いと人に感謝する時間にできた。

生命力というものがもしあるなら、少しチャージできた気がする。

これまでのことと、これからのことを思って、今考える、考えながら歩く。時には走って時には立ち止まる。何をするにも真剣であれ、という事は伝えるまでもないだろう。

ただ真剣にというのは実に難しい。

真剣に何かに取り組めば、息詰まる。

真剣に生きる、ということに関しては心が軽くなることもある。各々、それぞれの人生があるからね。

真剣に自分でいるとも言える。

だけど今僕は、ナニカになりたい。と声を高らかに宣言する。

それが真剣に僕でいることである。



舞台「天守物語」、深く深く人間に考えた。
深く深く役者というものを考えた、作品作りということも考えた。
芝居は何だろうとも考えた。自分はお芝居の何が好きなのだろうかと、どんかお芝居をしていきたいのか?どんな俳優でありたいのか?
当たり前のように生きているけれど。
今俳優でいて、これからも俳優でいたい。ワクワクし続けたいし悩み続けたいし、想いを誰かに伝え続けたい。お芝居をするということは、どこか願いにも似た気持ちでもある。だとするならば、願うってのは誰にでも等しく与えられた権利でもある。どんな場所でもどんなことにでも。

ただ真剣に自分の想いを願い。お芝居をしよう。

そう思えた作品でした。

長い旅から、また違う冒険へと。


今は「絶唱サロメ 」

色んなものが詰まってる、色んな可能性と願いが詰まってる作品だとおもう。

自分の渡されたもの以外もすごく魅力なことが。

初めて通し稽古した時は、自分以外のシーンをみていて、本当に楽しかった。これは稀有なことなきがする。

皆様と劇場であうのが楽しみでならない。



写真は「天守物語」、座長を務めた廿さんと!!
舞台の上で一緒にいれてうれしかった。

初日後の写真。