夢の中から飛びたしては現実をみる。
夢が現実で、現実が夢かもしれない。
どちらがどちらだ、なんてわからない。
自分という存在を認識するのが、自分でしかない以上、全ての存在や現象は最終的に自分に集約される。
毎度、夢を見る度にそう思う。
何が「本当」なのか?
鏡をみて思う。無表情の自分。
何が本当なのだろう。
そんな自己という存在がフワフワして初夏の風にのってどこかに飛んでいってしまいそうな今日この頃。
ぼくのそんなあやふやな存在感とは裏腹に季節はしっかりそこに存在する夏に突入していく。
街の装いは冬に比べれば変ることも少ないが、やはり街を行きかう人々がいつもとは違う。
どこか浮き足立っていて。
夏というものに期待を寄せている。
身につける洋服の色合いがそう感じさせるだけかもしれないが、
おそらくそんなことだけではないだろう。
なんなんだろう。この夏独特のお祭りのような雰囲気。
皆夢見を見ているような。
目の前にいるその人達が本当にそこを歩いているのかどうか、その人が数時間後には家に帰ってその人の人生を歩んでいる事実があるかどうか、全く持ってわからない。
この現実の非現実感はなんなのだろう。
そのcheepな現実こそが本当の現実で、ぼくが現実というものをただ履き違えているだけなのかもしれない、という気さえしてくる。
自分が想像するような現実は存在しないのかもしれない。
ただ僕だけが、僕が考えているという事実だけが本当で、そこにその肉体をもって存在しているのかどうかすらあやふやだ。
そこにしっかり存在する夏、そう見えるこれも僕がそう感じたからだ。
自分が考えることだけが真実なのに、自分があやふやじゃもうどうにもこうにもしようがないのである。
夏休みなんて、現実に夢を求め、現実と夢の境目がなくなってくる。
始業式の日のあの現実に引き戻された感は誰でも感じたことがあるだろう。
自分にとって今いるステージが夢か現実かそれはあまり重要なことじゃないのかもしれない。
自分が考え望む場所が自らにとっての現実であって、それが虚像であっても当人にとっては現実だ。
ただそこで何をするか、何を考えるか、何を残すか。
それが一番、真実に近い気がする。
7月中旬を少しすぎた頃、夏の暑さは一段と現実味を増すだろう。
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