以前から記事でも触れているが、私は学歴コンプを抱えている。それは高校時代に、頭の悪い高校内では誰よりも早く、誰よりも多く勉強をした自負があったにも関わらず、自分よりも勉強していない連中が、私以上の大学に受かっているのを見て自分自身の頭の悪さを実感し、絶望したことに起因する。

 

参考記事(新着順)

全て人並未満の私は死んだ方がいい

何か1つ強みがあるだけで、幸福度は大違いだと思う

三流大学卒が難関大学の入試問題に挑戦する(一橋大学編)

その他多数

 

そして学歴コンプがきっかけとなり、やがて「自分が頭の悪い人間でないことを証明したい」という気持ちが心の奥底で芽生え始めた。

そしてそれは、「頭を使う競技で何か結果を残したい」という考えに繋がり、これが将棋をはじめた理由の1つとなっている。将棋をはじめた理由はこれだけではないが、いくつかある理由の中で、特に大きな理由の1つだ。

 

しかしそのような思惑ではじめた将棋も、残念ながら一般人並の成果をあげることはできなかった。7年間将棋に関わりながら、24で初段にも到達できなかったという悲しすぎる事実は、学歴コンプに陥った際と同様に、自分自身の頭の悪さに対する大きな劣等感を与えることになった。私がこのブログ内で自分自身のことを脳障害であると言っているのは、こういった劣等感によるものである。

 

すなわち、「今までの事象から見て私の知能が平均よりも劣っているのは明らかだが、それをすんなり受け入れることもできない」という非常にアンバランスな精神状態から、半ば投げやりに「はいはい私は脳障害ですよ」と自虐に走っている訳である。

自虐ネタを連発する奴は大抵がこのように「素直に劣っているのを認めるぐらいなら、投げやりに言ってやってる感を出して誤魔化そう」というプライドの高い考えによるものなので、基本的に面倒くさい奴であるのは間違いない。

 

こうして学歴コンプに続き、将棋での大きな挫折により将棋コンプも追加されたことで、頭そのものが悪いことに対する劣等感(馬鹿コンプ)が形成された訳だが、しかしそれでもなお、「自分の知能は平均未満」という事実を認めることができないから、24初段を諦めてからは「他の頭を使う競争で結果を出し、馬鹿でないことを証明したい」という考えが頭の中に浮かぶようになった。そして既に、お試しで手を出してしまっているものもあるが、こういったものについてはなるべく早く切り捨てるように自分の気持ちを抑制し、自分が馬鹿であることを認める方向に、軌道修正していきたいと考えている。

 

頭を使う競争2つ(大学受験、将棋)を経験し、その両方で人並にできなかったのだから、これ以上頭を使う競争に拘るのは無意味である。どうせ3つ目に手を出したとしても、同じように上手くいかずに劣等感が強くなるだけだし、色んな頭を使う競争の世界を知ることで、自分より遙かに優れた脳のエンジンを搭載している人間をより多く知ることにつながり、そういった人との比較で苦しむことにもなる。やっても何1つとしてプラスになることがなく、マイナスになることしかないのだから、撤退するのが賢い判断というものだ。

 

ギャンブルの養分のように、負けにムキになって勝てない勝負で強引に勝ちにいこうとし、返り討ちにあって負けが膨らむことがあってはならない。せめて、この2連敗から学んだ唯一のこと(私の頭は平均未満。頭を使って勝負しても負ける)ぐらい、生かしていかなければならない。