読者の皆様こんばんは。日曜日は朝寝坊が増えた雁木師でございます。さて4月の始め、将棋界に衝撃ともいえるニュースが発表されました。人気棋士の橋本崇載(はしもと・たかのり)八段の突然の引退発表です。このニュースは将棋界だけにとどまらず多方面に大きな影響を与えました。のちにご自身のYoutubeチャンネルで引退の経緯をお話しされていますが、内容が衝撃的で様々なメディアでも取り上げられました。
私は橋本八段のYotubeチャンネルをすべて見たわけではありませんが、まだまだ活躍できると思っていただけにこのニュースを見た時は素直に「残念」と思うしかありませんでした。ただ、引退はご本人の決断ですので一ファンとしては「ありがとうございました」と「お疲れさまでした」と言いたいと思います。なお当ブログでは橋本八段のYoutube動画を掲載しようか検討しましたが、記事の内容が本題と外れてしまう可能性を考慮して今回は掲載しないことにいたします。
この引退報道を見た時にある一冊の本を思い出しました。以前、遠征先の将棋施設で席主さんから熱心に勧められた将棋本でした。今回はこの書籍を紹介します。
「NHK将棋シリーズ
橋本崇載の
勝利をつかむ受け」
をご紹介します。
NHK出版より2010年に発売された書籍です。ここで橋本八段のプロフィールをご紹介いたします。
橋本八段は2001年に四段昇段。師匠は故・剱持松二九段で同門には現役棋士では松本佳介六段、佐藤慎一五段、引退棋士では「ひふみん」の愛称でおなじみの加藤一二三九段がいらっしゃいます。
将棋界随一の個性派棋士として人気を博し、NHK杯では派手な容姿や対局前のインタビューでの言動がたびたび注目を集めました。
主な実績は竜王戦1組に通算10期、順位戦A級には通算1期在籍。タイトル獲得・挑戦や棋戦優勝はありませんが、王位戦の挑戦者決定戦に2年連続で進出(第49期~50期)されたことがあります。
昨年10月から今年3月末まで「一身上の都合」により休場を発表。そして、今年4/2付で引退されました。現在38歳の橋本八段。年齢を考えるとまだまだこれからという時期の引退に多くのファンの方はもちろん、将棋関係者からも惜しむ声が上がりました。引退が発表された日の将棋棋士のツイートでも引退の衝撃とこれまでのご活躍をねぎらう声が聞かれました。
丸山忠久九段はABEMAトーナメントの「チーム広瀬」のtwitterにて
「真面目で勉強熱心な青年。
一緒に研究会もやりました。
男気のある優しい性格が印象に残っています。」
と思い出とお人柄をツイート。
中村真梨花女流三段はご自身のtwitterにて
「記録係の不足の際、親身に接してくださったのが、最近のことのようですが…」
と驚きを隠せずも、労いのお言葉をツイートされています。
今回紹介する本書以外にも書籍を何冊か出されています。コミックの監修も担当されました。
では今回紹介する書籍の内容に入ります。本書は2009年4月~9月に放送された「NHK将棋の時間」内の「NHK将棋講座 橋本崇載の受けのテクニック教えます」の内容を加筆・再構成をしてまとめられた書籍です。タイトルの通り「受け」を学ぶ一冊となっています。全部で3章構成となっています。順番に見ていきます。
一章「終盤編:正確な読みで勝ちきる」…終盤の部分図を題材に自玉がどうすれば助かるかの解説です。「底歩」「連打の歩」「中合いの歩」など歩を使った手筋や玉の早逃げといった受けの基本の手筋から「犠打」や「反則」を狙った受けなど少しひねった受けの手筋まで、終盤を制するうえで欠かせないテクニックが網羅されています。
二章「中盤編:優れた大局観で優勢を築く」…中盤の攻防における受けの手筋の解説です。テーマによっては実際の局面を用いての解説となっています。矢倉や居飛車対振り飛車の対抗形が題材となっているケースが多いです。振り飛車党なら覚えたい「さばき」による受け、離れ駒を活用する指し回し、相手の手に乗じて厚みを築くテクニックなど、局面を優勢に持ち込むテクニックが満載です。
三章「問題編:実戦に応用する」…これまでの前二章の内容を踏まえて実戦に応用していく術を学ぶ章構成となっています。合駒請求、逆王手と言った用語も出てきます。はじめは部分図で応用の技を学び、徐々に全体図を使って盤面を広く見渡した受けの技を勉強。締めくくりに橋本八段の実戦から受けの妙技を学んでいくという構成です。橋本八段の実戦からは5題出題です。「問題編」というだけあって、次の一手問題の要素が入った文章構成です。
また各章の合間にはコラムとして、犬の話や個性について書かれています。
以上、特徴を含めた各章の構成を見てきました。文章の特徴に目を転じますと、格言がうまく散りばめられているのが大きいです。受けの格言といえば「金底の歩、岩より固し」や「玉の早逃げ八手の得あり」といった言葉が浮かぶという方もいらっしゃるかと思います。もちろんこの2つの格言も紹介されていますし、他にも有名な格言も登場します。詳しくは本書でご確認いただければと思います。
三章の「問題編」では重要な部分を太字で書かれています。それだけ覚えてほしいことであるという重要な要素です。また、双方向的な文章で読者の疑問を分かりやすく解説されているのも特徴の一つです。
実際に本書を盤に並べてみました。私が印象深かったのは…まずは「犠打」です。「犠打」と言いますと詰将棋でもたまに用いられる用語なのですが、受けの技でも「犠打」が使われるとは思いもしませんでした。もちろんやみくもにタダで駒を捨てるのはいけませんが、目的のある捨て駒は終盤戦で相手の攻めを遅らせるという感じがあります。
他に印象深い技と言いますと反則を誘う受けの技です。本書では打ち歩詰めと連続王手の千日手の反則を絡めた玉の逃げ方が紹介されています。反則を誘う受けと言いますと以前タイトル戦で「連続王手の千日手」に誘う筋で挑戦者が勝ったという記事を見ました。
その将棋とは第77期名人戦七番勝負第3局☗佐藤天彦名人ー☖豊島将之二冠(いずれも肩書は当時)。豊島二冠が平成生まれ初、令和初の名人奪取を実現させたシリーズで連続王手の千日手の変化が登場したのです(棋譜はこちら)。この対局を紹介したとある新聞記事によれば、132手目☖4八飛成が「先手玉の秘孔を突いた一手」として掲載。この一手で先手玉が必至になり佐藤名人は王手をかけ続けて後手玉を詰まさなければならない状況に。しかし、☗7三桂右成の王手に対して☖9二玉と逃げた手がなんと連続王手の千日手に誘う筋で実戦は以下
☗7四角成 ☖8一玉
と進んだところで佐藤名人が投了。連続王手の千日手がクローズアップされた一局として注目されました。そしてこの対局が決着した次の日、再び連続王手の千日手が将棋界で話題になる一局が登場したのです。
その将棋は☗北浜健介八段ー☖藤井聡太七段(当時)。第69期王将戦一次予選の将棋です(棋譜はこちら)。この将棋は将棋ライターの松本博文さんが詳しく解説されていました。
この記事によればポイントとなったのは77手目の☗2一飛の王手に対する応手。藤井玉は合駒をしなければ負けなのですが、問題は何の駒で合駒をするか。藤井七段の選択は☖2二銀。北浜八段は☗2四銀と王手をかけ、以下
☖2四同銀 ☗2二飛成
と「一間龍」と呼ばれる手筋で迫りますが…藤井七段はここで☖2三飛と合駒に飛車を使った一手が受けの妙技でした。実戦は以下
☗1一龍 ☖3八桂成
☗同金 ☖4九銀
から攻め合いになりましたが、藤井七段が的確に自玉を逃げ切ってからの反撃が決まって勝利を収めました。もし本譜82手目の☖2三飛に対して☗1一龍に代えて☗2三同龍だったらどうなるか…。実は☗2三同龍の一手は「連続王手の千日手」の罠につながってしまう一手だったのです。その手順は☗2三同龍には☖同玉と応じます。以下再度☗2一飛と王手すると☖2二銀と合駒されて
☗2四銀 ☖同玉
☗2二飛成 ☖2三飛
☗同飛成 ☖同玉
でなんと同一局面に戻ってしまいます。松本さんの記事によれば「藤井はこの8手1組の『連続王手の千日手』で勝ちと読んだ」とあります。しかもこの手順は、合駒の選択肢を間違えてしまうとたちまち逆転されるという可能性もあったとされており、「超絶技巧を骨子とする構想」でうまく逃げ切ったという将棋でした。この2局がきっかけで将棋界では一時期「連続王手の千日手」が話題になったのです。
さすがに今回紹介したプロ棋戦に出てきた反則を誘う受けはなかなか真似するのが難しいですが、絶体絶命の局面から脱出できる切り札として反則を誘うテクニックは覚えておきたいと感じます。
本書に話を戻します。もう一つ、これは面白くてぜひ覚えたいなと思う手筋をご紹介します。私が本書を読んで思い出した筋が「歩のバック」の手筋です。
「歩のバック」…あまり聞きなれない言葉だと思います。歩は前に1マスしか進めません。当然実戦で歩を後ろに引く一手を指せば反則負けです。「歩のバック」という言葉は橋本八段のテレビ講座でも登場したと記憶しているのですが…。この手筋は相手の攻め筋にある自分の歩をわざと取らせて、同じ筋にもう一度持ち駒の歩を低い位置に打って受けるというものです。と言われても文章だけでは伝えきれないので、実際の局面で説明していきます。まずは問題の局面から見ていきます。
部分図ですが先手陣は右玉を想定して作成。後手の攻めは棒銀調ですが、8三の歩の頭に飛車がいます。この状態を「歩越し飛車」と呼び、主にひねり飛車や振り飛車の将棋で見られることもあります。さて、先手はこのまま放置すると
☖8七銀成 ☗同金
☖同飛成
と突破されて実戦なら不利になるところ。ここで「歩のバック」の手筋が登場します。その手順は
☗8六歩 ☖同飛
☗8八歩
と持ち駒の歩を低く打って受ける形です。
この順を踏んだことで後手の攻めが重くなってしまいました。持ち駒に歩はありますが、8筋には歩がいるため☖8七歩を打つことができません。こうなれば受けの形が決まった形です。歩を取らせて低く受けるのが「歩のバック」の手筋です。歩越し飛車の攻めには有効な受けの手筋と言えるでしょう。
以上、本書で個人的に印象に残った手筋でした。他にも様々な受けの手筋が登場します。ぜひ本書を手に取って、受けの基本と応用テクニックを学んでいただければと思います。難易度としては、「勝つための受け」を学ぶのがコンセプトの一冊です。受けが苦手な方はぜひ読んでいただきたい一冊です。居飛車党、振り飛車党それぞれの受けの技もありますが、党派を問わず共通した受けの技もあります。文章も分かりやすいので楽しみながら受けを学べる一冊です。
この本を読んで将棋が好きになった、将棋が強くなったというお声をいただければ、これほどうれしいことはありません。読者の皆様が将棋本を読んで将棋が好きになる、将棋の力が強くなることを祈念いたします。また、今後の橋本八段のご多幸をお祈りするばかりです。状況が落ち着いたら、再びメディアなどで私たち将棋ファンを楽しませてくれることを信じています。なお、次回の書籍紹介は8/6(金)を予定しています。日数はいただきますが、充実した内容を目指していきますのでどうかお待ちいただければと思います。
今日はここまでとさせていただきます。本日も長文となりましたが最後までお読みいただきありがとうございました。



