2024/09/15
京都へ。東京の弟家族が帰ってきて、入れ替わりで息子が帰ってきた。父の運転で京都をニ往復する。息子がおなかに宿ったとき、私は大学に入ったばかりだった。その日は開業医が休んでいる木曜日。かなり遠い婦人科を受診した。小さな白い影と心臓の鼓動。人生で一番泣いた瞬間かもしれない。殺せない、と思った。すでに命だった。大学卒業前に離婚したものの、籍を入れて母子手帳をもらった。ふくらんだおなかで結婚式をした。生まれてきた息子はかわいくて仕方なかった。でも、愛情の注ぎ方がわからない。両親の力をだいぶ借りて、大きくなったのだ。私とは親子というより兄弟。弟たちも父代わりをしてくれた。小さな頃から大人のようなところがあり、なんでも器用にこなした。私は私なりに、スペースを作っていた。母という場所。実際に抱き締めるということはないが、いつでもここが居場所だよ、という場所。思春期からだろうか、もっと前からかもしれない。受け入れて、笑顔を向けよう、と決めていた。人生二度目の号泣は息子が進学先を京都にしたときだった。まだ確定していない、未来。ずっと近くにいてほしい、と泣いた。実際、送り出した日は明京止水、でお話しした通り、清々しかった。ただ、そこまで感情を持っていくのにかなり苦しかった。私の中で息子はかわいい子供のまま。体は大きくなったけれど手をつないで歩いていた頃と変わらない。一人暮らしを始めて、大学で友達がたくさんできて、お酒やタバコも覚えた。今でもかわいい息子なのだが、京都へ帰る背中が光って見えた日があった。月の光みたいだった。ふと、大人になったな、と思った。心配ばかりの日がウソみたいだ。寂しさも悲しさもない。遠くに光る月。キレイだった。産経国際書展にて秀作受賞。光(ひかり)私は最近、連絡がない日こそ元気なのだ、と思えている。便りがないのは良い便り。たまに電話が鳴ると切りたくない。話は尽きない。どこにいても息子は息子である。私があの日、産む、育てる、と選択して間違いなかったと思える、自慢の息子である。プロフィール写真を変更した。こちら、朝妻一洋さんに撮っていただいた着物姿。全貌は後日。今年も展覧会しごと、走り抜けた。全て提出し終わり、ほっとしている。そして、来年の仕事をしようとしている。締切ギリギリに爆発的な力が出る、と知っているが、今日が締切だ、という気持ちで毎日書く。個展のシリーズを作っていく上で一段ステップアップした感覚があった。私が変わった。迷う、悩む、一切なかった。怖くもない。私が作るものは私にしかできない。たった今の最高はこれだ。常に更新していく。違うと思ったら、放る。潔く、手放す。信じるのは自分だけである。明日死ぬかもしれないから後悔ないように生きる、というのは違う。今日、今を生きているから大切に、一生懸命に生きたい。過去も未来も今には関係ない。私は何をしたいのか。今、したいことをする。その続きは明日に託せばいい。結果にこだわるのも、誰かのための作品もやめた。私が納得して、今、最高なものを作る。例えば、食べたいと思ったものを食べること。痩せたいと思ったら痩せるし、太ることを気にせず食べる。人の目を気にしない。同様に書けると思ったら書く。休みたいと思ったら休む。見たいと思ったものを選んで見る。聞きたいと思った音を選んで聞く。ほしいと思ったら買う。いらないと思ったら端から処分する。着たい服を着て、感情も隠さない。文章も綴りたくなったからまとめている。したくないことはしない。願う、望む、それもない。稲刈りが終わり、トンボが指に乗る。こんなに暑い夏でも秋が来る。きっと雪も降る。私はニットが着たくなってブーツを履いて。また桜を見てるんだろうな。チェック柄を纏いたくなる、秋よね。