ミヒャエル・エンデの『モモ』を読みました。


恥ずかしながら私自身、名著だということも、ミヒャエル・エンデのことも何も知りませんでした(笑 ^^;


読み進めていくと、どんどんどんどん物語の中へ引き込まれていき、ストーリー自体も非常に面白いのですが、とてもただの素晴らしい物語として完結させてしまうことはできませんでした。


それはあまりにも今の世の中とリンクする部分が多く、(きっと初版が出た当時からそうだったと思うが)「時間」について改めて考えさせられると共に、当たり前のように時短や効率を求めるようになった現代社会に対して警鐘を鳴らしていて、深く考えさせられた一冊でした。

それ以外にも見所が多く、言語化するには難しい感情を抱いたり、思わず鳥肌が立つようなお話があったり…、きっと受け手によって感じるものもまた変わってくるであろう箇所もあり、誰にでも親しみやすい作品ではないかなと思います。


余談ですが、人間一人一人に与えられた「時間」、これについてより深く考えたいのであれば、下手な自己啓発本よりも『モモ』を読んだ方が良いとさえ思いました。


と言うわけで、私の中では大絶賛かつ語りたいことは色々ありますが今回は「時間」ではなく、「傾聴」について書いていきたいと思います。



以下、物語の最初のほうのあらすじを。


大きなネタバレはないですが、知りたくない!という方は回れ右でお願いします⚠️




このお話の主人公であるモモは、子供ながらに「人の話をよく聞くことのできる能力」をもっています。


それは話を聞いてアドバイスするというものではなく、モモが特に何か言わずともその場にいるだけで、村人たちの問題が解決していくのです。

例えば、いがみ合っていた者同士が自ら喧嘩の原因に気づき仲直りできたり、いい遊びが思いつかなくて困っていた子供達がモモと一緒にいるだけで、想像力が豊かになって楽しい遊びを思いついたり、…などなど。


モモに話を聞いてもらうだけで、聞いてもらっている人たちの心は徐々にクリアになり、話しているうちに自身で問題の答えに辿り着き、最終的に皆んな良い気分になって帰ります。

そして、モモに話を聞いてもらった人々は、困り事があれば誰にでも「モモに会いに行ってごらん」と提案するようになり、口コミの如くどんどんその噂は広まって様々な人々がモモに会いに行くようになります。


物語の序盤はこのような感じで、モモの能力にスポットが当たったお話になっています。


モモには人並外れた「傾聴力」がありました。


読んでいる時に、まさにこれが真の傾聴なのか!と興奮してしまいました(笑)



モモのすごいところは、相手に意識を向けてずっと話を聞いているだけで、その人の本音を引き出したり、相手が自ら問題解決する(話してるうちに自然と答えに辿り着く)ことです。



一般的に「傾聴」というと、相手の話し方や表情、仕草などを気にかけながら共感することを前提に、相手がなるべく素の状態で話せるよう環境を整えたり、心を開いてくれるような質問をして、相手の本音を引き出していく。

教科書的にはこういう感じでしょうか。


一見簡単に思えますが実際にやってみると傾聴って大変ですよね…^^;

カウンセラーとか営業をしていたわけではないですが、栄養指導をしていた時になかなか相手の本音を引き出すのは難しいなと感じました。

限られた時間という制約があったり、自分自身に心の余裕がないと、本当の意味で相手の話を聞くことはなかなかできないものです。


しかしモモはそれを当たり前のようにやってのけるんですよね。

彼女の類稀なる才能と言えばそれまでですが、モモに注目しているとそこには傾聴をする際のヒントが隠されているような気がしました。



それは一体何なのでしょうか?


自分なりに考えてみました。


①モモには思い込みや固定観念のようなものがなく、話しを聞いていてもそれを否定も肯定もせずにフラットな状態で興味を持って聞くことができるのではないだろうか。


思い込みや固定観念がないというのは、モモは元々身寄りもなく、1人で暮らしていたことに起因しているのかなと思います。父も母も存在が分からないと本人は言っています。


親に育てられるということは、親の愛を受けることでもありますが、親の価値観をもとに固定観念が作られていくことでもあります。

子供ながら、こうしたら親は喜んで褒めてくれるとか、これはやったら怒られるとか、親から評価された経験によって、その子はそれを善悪判断の材料として行動する時の基準にします。

善悪判断の材料がどんどん積み上がっていくと固定観念になります。

少し説明がややこしくなりましたが、モモにはそのような経験がないので他の人よりも固定観念に縛られないのです。


彼女にとっての判断材料といえば、自分の感覚(喜怒哀楽などの感情や第六感で感じ取ったことなど)でしょうか。


モモ自身は常にありのままでいるのです。


モモがありのままでいるから、話しをする人たちもありのままでいられる。


これ、すごく重要なんだと思います。

傾聴のテクニックのように、相手のためにわざわざ話しやすい環境を作ったり、本音を聞き出すためにあれこれしなくても、傾聴する人がありのままでいるだけで、相手は本来の性質を出せるようになるんじゃないかと思います。

それが本音の状態であったり、人によってはイマジネーションが広がり何か閃いて、ひとりでに問題解決してしまうんだと思います。


読んでいて驚いたのですが、モモのセリフに◯◯さんはこうだとか、別のキャラクターに対する決めつけとか否定が全くないんですよ。(敵である時間貯蓄銀行員に対してさえ)

話しを聞いている時も、これはこういうことなんだと分析も一切しないですし、大袈裟に共感するということもないのです。


彼女はどんな人の話しであっても、話しの内容に大小はなく(愚痴や喧嘩、おしゃべり、空想に至るまで、取るに足らないということはない)、常にどんな話しもフラットに聞けました。



②へつづく