何かをする時の意識の置き所がどこにあったのか少しずつ見えてきている。


他者からの評価が良い方や好かれる方を選んでいたり、ここなら自分は孤立する可能性が低いとか、同じような仲間がいるかとか。めちゃくちゃ人気があるわけじゃないけど程よく良いところ(それなりに実績がある)とか、判断材料の多さとか、確実性が高いとか。お金ありきなのもそうだし、評判とか、権威、名声、ブランドとか。


あれ?


そんなはずじゃないと思いきや…

振り返るとそういうものを大事にしてきたかも⁉︎とドキッとした。



移住を検討してるけど、最初は心地よい感覚になったこと、思い入れがある土地だからとシンプルに考えていたけども、それが現実味を帯びてくるたびに不安や恐怖の声に従うようになり、確実な方、安心な方、同じような人たちがたくさんいて”保証済み”って書いてあるラベル付きかどうかが重要になっていって。


結局、パートナーの仕事の関係でボツになってしまったが。。。


パートナーに命運を委ねすぎてしまったこともある。彼次第で行けるなんていうのもおかしい。

2人で行くのに。


そこの街じゃないとダメっていう執着も移住後になるべく自分に不利じゃない条件で、孤立せずに安心して暮らせるかどうかが大きかった気がする。

要は未知の世界への不安をできる限り潰したかったんだよね。


何も土地のことを分かっていない自分が新参者として入ったら受け入れてくれないんじゃないかと思った。だから、移住者が多い地域が良いなーって思ったし、なるべく地域に馴染めるように地域おこし協力隊とかに入って生活する方が楽なのかなーとも思った。

でも、それって結局、そこの土地の人たちに受け入れてほしくて何か貢献しないと、必要以上に頑張らないと、ちゃんと交流しないと私の存在を認めてくれないと思ってるからそうしたいだけなんだよね。

本当の意味でその土地を盛り上げようとして協力隊に入りたいわけじゃないんだよ。人とかを抜きにしてその土地の良さを満喫したいわけじゃないんだよ。

まあ、だからそれが良いとか悪いとかではなくて、そういう意識で行くことが違うということ。

というか最初から、周りが自分を受け入れてくれないという思いに同意して(前提で)、エネルギーをそこへ注いでしまうんだよね。そうするとその思いの通りの現実が作られるということがよくあった。


過去にもこれに似たことをして、エイヤ!って飛び込んだら、自己犠牲までして働いてるのに周りから陰口叩かれるわ、面と向かって「〜ができてない!〜が足りない!」って言われるわで、そこのコミュニティで認めてもらえるようになるまで随分時間がかかったし、その後も自分のキャパを超えて誰かに尽くしたり、仕事も余計に頑張らないと認められてる状態が継続しないんじゃないかと思って必死になったりもした。すっごい疲れたよ。


そんなことをずっとやってきたような気がするけど、そろそろそういう生き方というか、そのやり方で新しいことするの辞めなよって言われてるみたい。


多分、今回移住する話が失敗したのってそういうこともあるんだと思う。

何の根拠もないけど、暴走しやすいエゴの存在に気づいた時から風向きが変わったというか、もう今までと同じ方法では古いし、その一歩手前で気づくことも増えてきて、意識がどこに向かっているのか常に観察しながら進むという練習に入った感じ。

何を行動に移しても外向きの行動には変わりないんだけど、大事なのは内側の意識だよって。もっと良く見て、吟味して、慎重に、だけどタイミングは逃さず…って感じで、これちょっと難しいわね。笑


やはり「等身大」がキーワードなのか!?