6 私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。
7 ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。
8 しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
9 私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。
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キリストは恵みを持ってわたしたちを呼び出してくださいました。
その恵みこそ福音だったわけですが、
この時のガラテヤの教会ではこの恵みの福音ではない恵みにはよらない別の救いが
まるでそれこそが福音のように語られて、教会を大変混乱させたようです。
ある教会では恵みを放縦、つまりなにをしてもゆるされるから罪など気にせず行こう、という教えがその教会を混乱させましたが、
ガラテヤの教会では逆に旧約聖書の時代に戻ったかのように、
律法によって救いを達成するのだ、という教えが信徒たちを混乱させました。
しかし、パウロがここではっきりと言明するまでもなく、
真の福音に反することを教えるものたちは、呪われるべきだし、呪われる、ということです。
それほど福音とは大事なことです。
この福音を曲げるとはすなわち、その福音によって救われるべき人たちの救いの道が絶たれるということにつながります。
永久に永遠への道を多くの人たちに対して閉ざしてしまう行為は、
実際、地上の大量殺人以上の罪なのです。
そして、もう一つには、その福音の中心であるイエスキリストの愛と恵みの業を否定しているということです。
キリストが父に呪われても達成されたあがないの業を無駄にするとは、
本当に恐ろしい行為です。
わたしたちはキリストの福音をきちんと理解し、
これを守り通し、人々にも特にその中心部分に関しては曲げずに
伝えていく必要があります。