24 あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることのできる方に、

 

25 すなわち、私たちの救い主である唯一の神に、栄光、尊厳、支配、権威が、私たちの主イエス・キリストを通して、永遠の先にも、今も、また世々限りなくありますように。アーメン。

 

(ユダ24-25)

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「つまずきは避けられません」

 

「わたしたちは多くの点で失敗するものです。」

 

イエス様もヤコブも上記のように言っていますが、

 

ここでユダは大胆に、「神はわたしたちをつまづかないように守ることができる」、と宣言しています。

 

たしかにわたしたちが失敗しやすいのも、つまずきやすいのも事実です。

 

しかし、それはわたしたちが神の中におらず、神のやり方に従わないときに起こるものです。

 

ということはわたしたちは信仰者といっても多くの時、神ではなく、自分のやり方に縛られているということでもあります。

 

これは本当にだれでも悔い改めていかなければならないことですし、

 

わたしたちが自分が信仰の中にいる、と思っているときこそ、

 

本当に信仰に立っているのか常に御霊に吟味していく必要があります。

 

とはいえ、もしわたしたちが神の中におり、信仰に立っていれば、

 

恐れることはありません。

 

神はどんな時でも、あるいはどんなことにおいても、わたしたちがつまずかないように完璧に守ることがおできになります。

 

わたしたちのこの生きている人生のことだけではなく、

 

終わりの日、わたしたちが栄光の王である神を仰ぎ見るときに、

 

御霊によりキリストの血によって、わたしたちをまったく傷も汚れもないものとして、

 

それゆえ恐怖ではなく喜んで御前に立つことができるようにしてくださいます。

 

わたしたちはすさまじくあわれみと恵みと愛に満ちた神の中で日々生かされているのです。

 

この方の栄光によって、この方につながるすべてのものにも栄光がやってきます。

 

子なるイエスキリストこそ、褒め称えられるべき唯一の王、

 

父なる神こそ、唯一崇められるべき真の神。

 

この三位一体の神に栄光、誉、賛美が世々限りなくありますように。