12 彼らは、あなたがたの愛餐のしみです。恐れげもなくともに宴を張りますが、自分だけを養っている者であり、風に吹き飛ばされる、水のない雲、実を結ばない、枯れに枯れて、根こそぎにされた秋の木、
13 自分の恥をあわをわき立たせる荒波、さまよう星です。まっ暗なやみが、彼らのために永遠に用意されています。
14 アダムから七代目のエノクも、彼らについて預言してこう言っています。「見よ。主は千万の聖徒を引き連れて来られる。
15 すべての者にさばきを行い、不敬虔な者たちの、神を恐れずに犯した行為のいっさいと、また神を恐れない罪人どもが主に言い逆らった無礼のいっさいとについて、彼らを罪に定めるためである。」
16 彼らはぶつぶつ言う者、不平を鳴らす者で、自分の欲望のままに歩んでいます。その口は大きなことを言い、利益のためにへつらって人をほめるのです。
(ユダ12-16)
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自分は神と今どれだけ親しいか、はたまたどれだけ遠ざかってるか、
を測るリトマス紙、
それはわたしたちの口から出る言葉です。
神と親しいときには、喜びやポジティブな言葉、感謝が出やすいですが、
そうではないとき、ネガティブな言葉や不平不満が出やすくなります。
神から離れれば離れるほど、つまり神から自立すればするほど、
わたしたちはすべてのことを背負っていかなければならなくなり、
疲れやすい人生に陥り、疲れているので不平も出やすく、
不平が出れば喜びは奪われ、喜びが奪われれば心の活力がなくなり、
心の活力がなければ相対的に体も疲れやすくなるものです。
わたしたちは人からは自立し、神には依存していく必要があります。
神はわたしたちにとって大切なものを守ることがおできになり、
わたしたちのいのち、特に霊的ないのちを守ることがおできになる方です。
わたしたちがこのかたを離れて、考えたり、行動したりしてみても、
コントロールできることはたかが知れています。
神に信頼せず、自分に頼って生きる人生は、わずかの時間、自分を養うことができるぐらいです。
わたしたちは神を離れては良い実を結ぶことはできず、
光なる神から離れていくところは暗闇です。
そして神の救いにより頼まないのであれば、
神に逆らってしたすべての罪の責任を負うことになり、
やがてさばきが待っています。
神が非常にあわれみ深く忍耐強いので、
わたしたちはときに神をあまり恐れない、ということありますが、
神を恐れないことは、本当に恐ろしいことです。
怖がる必要はないですが、神の前には聖なる恐れというか健全なおそれは
持っている必要があります。
今日という日に、いつも自分の心をチェックして、
神の愛、神の恵みにとどまって、
神の救いの中で生きていきましょう。