15 彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう。

 

16 もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟としてです。特に私にとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、肉においても主にあっても、そうではありませんか。

 

17 ですから、もしあなたが私を親しい友と思うなら、私を迎えるように彼を迎えてやってください。

 

(ピレモン 15-17)

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聖書ではよく逆説的なことが起きます。

 

つまりなにか一見悪いことのように思えることが起きるのですが、

 

それを通してかえって神の栄光が現れる、というようなことです。

 

アブラハムに子供がなかった、

 

ヨセフがエジプトに売られた、

 

モーセが同国人に告発されてエジプトから出ることになった、

 

ダビデがサウルに嫉妬されて命を狙われた、

 

など枚挙がありません。

 

わたしたちもすぐに自分の見たこと聞いたこと、経験からくる予想を信じてしまって、

 

たいていの場合は悪いことが起こってしまった、これからさらに悪くなる、

 

といった考えに縛られてしまいがちではないでしょうか?

 

しかし、ことわざの万事塞翁が馬ではないですが、

 

一見悪いことのように見えて、結果良かったり、その逆の場合がありえます。

 

主はすべてを働かせて益としてくださいますが、

 

益となる前には、まず一見悪いことが起こることもよくあることのように

 

思えます。

 

ピレモンもオネシモに逃げられて、そのことでいろいろとネガティブなことを考えていた可能性は十分ありえます。

 

しかし神はこの機会をオネシモが霊的に死んでいたところから神の命を得る機会としてくださいました。

 

オネシモだけでなく、オネシモの信仰を知ったピレモンも神の不思議な働きと配慮によって、

 

その信仰がますます強められたことでしょう。

 

ですから今日わたしたちも自分の判断を全体正しいと思うのをやめ、

 

今起こっているすべてのことを主を信じて感謝してみましょう。

 

もしわたしたちが本当に主を愛しているのであれば、

 

主は約束の通り、すべてを働かせて何事であっても益としてくださいます。

 

"28 神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。(ローマ8章)"