8 信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しをうけたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。

 

9 信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。

 

10 彼は、堅い基礎の上に建てられた都を待ち望んでいたからです。その都を設計し建設されたのは神です。

 

(ヘブル11:8-10)

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アブラハムは父テラとカルデア人の地、メソポタミアに過ごしていたときの様子は聖書には記述がありません。

 

しかし、人生うまくいっているときに神の声を聞くことはおそらく「まれ」です。

 

彼がカルデア人の地で人間的にはある程度うまくいっていた可能性はありますが、

 

それでも虚しさを覚え、その土地で自分の人生の意味を考えていた可能性は大いにあります。

 

そんな中、彼が75歳にもなったときに神が現れ、その声を聞きました。

 

"3 『あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしがあなたに示す地に行け』(使徒7章)"

 

自分の土地と自分の親族を離れる、ということは頼れるものはまったくなく、自分一人ですべてをやっていかなければならないことを意味します。

 

また新しい土地に行くのであれば、人間関係も新しく築き直し、また、その土地の風習や文化にも適応していかなければならないことを意味します。

 

自分の常識が通用しないとは本来は大きなストレスであるはずです。

 

アブラハムはそれでもこの世の常識やメリットではなく、

 

神のお告げを優先しました。

 

そこには神の仰られることであればそれがなんでも「最善」だ、

 

という確信と信頼があったのかもしれません。

 

それもまだ、十分な情報が与えられる前にです。

 

この神からの召し出しの本当の目的、その情報は、

 

彼が最初の呼びかけに答えてまったく新しい道を踏み出し、

 

歩き続けていく中で、徐々に明らかになっていきます。

 

残念なことに多くの人は実は神の召しを聞いてるにも関わらず、

 

それを信じなかったゆえに、その召しの目的や次の神の声を聞くことなく、

 

人生が終わっていきまう。

 

子どももなかったアブラハムがこののち、彼の子孫によって

 

すべての人類が祝福を受けるという、途方もない約束を耳にすることになります。

 

神の声のタイミングも絶妙です。

 

もし、メソポタミアの地でアブラハムにすでに子どもがいたとしたら、

 

それでも彼が神の召しに答えていたかは、不明です。

 

少なくとも、子どもがない時より決断は難しいものだった可能性はあります。

 

わたしたちもアブラハムのように、神以外誰もなにも頼れないような場所や、状況、人間関係に導かれるかもしれません。

 

しかし、それが神の声であって、神の求めることであれば、

 

心配は入りません。

 

目で見える部分はまったくそうでなかったとしても、

 

神が必ず神の召しに応えたわたしたちを祝福されます。

 

アブラハムがメソポタミアの土地にとどまりませんでしたが、

 

それはもっと確かな、神による国が用意されていたことを

 

アブラハムは悟っていました。

 

その霊的な神の国にこそ住みたいと、アブラハムは常に思っていたのです。

 

わたしたちの財産も知識も名誉もそこに辿り着かせることはできません。

 

信仰だけがその土地へ導くことができます。