18 一方で、前の戒めは、弱く無益なために、廃止されましたが、

 

19 —律法は何事も全うしなかったのです—他方で、さらにすぐれた希望が導き入れられました。私たちはこれによって神に近づくのです。

 

20 また、そのためには、はっきりと誓いがなされています。

 

21 —彼らの場合は、誓いなしに祭司となるのですが、主の場合には、主に対して次のように言われた方の誓いがあります。「主は誓ってこう言われ、みこころを変えられることはない。『あなたはとこしえに祭司である。』」—

 

22 そのようにして、イエスは、さらにすぐれた契約の保証となられたのです。

 

(ヘブル7:18-22)

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わたしたちは今律法を守りません。

 

わたしたちは割礼をしたり過越の祭り、仮庵の祭りをしたり、祭司をたてて

 

日々民の罪のための雄牛や子羊の犠牲を捧げません。

 

それでいいのでしょうか?

 

イスラエルの一部の熱心なユダヤ教徒たちは律法を守ろうと

 

頑張っているのではないでしょうか?

 

わたしたちは本当にしなくていいのでしょうか?

 

"18 一方で、前の戒めは、弱く無益なために、廃止されましたが、

19 —律法は何事も全うしなかったのです—他方で、さらにすぐれた希望が導き入れられました。私たちはこれによって神に近づくのです。(ヘブル7)"

 

聖書ははっきりこう言っています。

 

前の戒め(律法)は、「弱く」「無益」なため「廃止された」。

 

少なくとも異邦人であるわたしたちにとって、

 

律法を行う道理は完全に消えたのです。

 

キリストが律法を自ら「成就する」ことによって終わらせられました。

 

キリストが全人類の罪の犠牲を過不足なく払うことによって、

 

キリストを信じるすべての人たちがもはや律法に何も要求されることがなくなり、

 

律法から解放してくださったのです。

 

これが律法が決して成し遂げることができなかった「さらに優れた希望」です。

 

キリストによって義人とされ、律法から解放されたわたしたちは、

 

本来祭司でも、ましては大祭司でもないのに、

 

今や父なる神との壁がなく、キリストによって神に近づくことができるのです。

 

キリストは、古い契約がなしえなかったさらに優れた新しい契約の

 

保証となられました。


今わたしたちは肉の律法の下にはおらず、御霊の下におり、御霊に仕えるものとされ、愛の律法に仕えるものとされました。