4 一度光を受けて天からの賜物の味を知り、聖霊にあずかる者となり、
5 神のすばらしいみことばと、後にやがて来る世の力とを味わったうえで、
6 しかも堕落してしまうならば、そういう人々をもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、恥辱を与える人たちだからです。
7 土地は、その上にしばしば降る雨を吸い込んで、これを耕す人たちのために有用な作物を生じるなら、神の祝福にあずかります。
8 しかし、いばらやあざみなどを生えさせるなら、無用なものであって、やがてのろいを受け、ついには焼かれてしまいます。
(ヘブル6:4-8)
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キリスト者は順当にいけば、ここに書いてあるように
真理の光を受け、天からの賜物を知り、聖霊にも預かる者となり、
神のすばらしいみことばと後の世の力とを味わうようになります。
そこまで神との濃い体験をしたのちに、
残念ながらそれでも神から離れてしまう人たちは一定数いるのでしょう。
その場合は、そのような人たちを悔い改めさせる方法はない、
ということです。
そういう人たちはキリストをもう一度十字架につけて辱めを与えるような
人たちで、キリストの愛を踏みにじるような人たちだからです。
この世にキリストの愛より大きいものはありません。
それゆえ彼らをたち返らせる方法はないのです。
もし堕落したとしても、主に立ち返りたいという思いがあれば、
その人たちはまだこのような最悪の状況ではありません。
そして、主もそう簡単に人を見捨てたりすることなく、
熱心にそして忍耐してわたしたちを待ってくださる方です。
一度信仰告白したら、その後どんな人生を送っても神に救われる、
という誤解が一部教会にありますが、
現実には信仰告白しても最悪その人たちが主を捨てることによって
救われない人たちはいるのが現実です。
神はわたしたちがなにものであっても、
わたしたちの人生において大収穫を期待しています。
わたしたちは大収穫を得るために、
良い身分だったり、能力だったり、見た目の良さだったり、
経験だったり、血筋だったりというものは全く必要ありません。
それはこの世の成功で必要なものですが、天の御国では無用の長物です。
しかし、唯一神へ信頼し、神を愛するということが必要です。
わたしたちの霊的生活が実り多きものとなるために、
一歩ずつ一歩ずつ主に信頼して進み、
毎日良い心でみことばに耳を傾けていきましょう。