7 ですから、聖霊が言われるとおりです。「きょう、もし御声を聞くならば、

 

8 荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。

 

(ヘブル3:7-8)

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主の語りかけの方法はさまざまですが、主は常に私たちに語っていて

 

本来わたしたちが送るべき「豊かな命」へと導いています。

 

大祭司カヤパ(ヨハネ11:49-52)やエジプトのファラオ・ネコ(歴代II 35:21,22)は信仰がないどころか

 

信仰者の敵なのに、無自覚に神によって語らされたように、

 

未信者にも語っています。

 

主が造られた大自然を通しても語り、

 

預言者を通して語り、

 

敵を通して語り、

 

物言わぬロバを通して語り(民数記22:28)、

 

天使を通して語り、

 

聖書を通して語り、

 

奇跡を通して語り、

 

御霊を通して語ります。

 

語られたその人がそれを知覚していないことがあったとしても

 

神が語っていないわけではありません。

 

神が語っておられない時の方がむしろ稀なのですが、

 

ほとんどの場合、

 

わたしたちが神に意識を向けようとしないので

 

語られてもみ声がわからないのだと思います。

 

しかし、語られたとしても

 

自分の肉の思いで満ち、自分こそ正しいと悪魔に騙されている時、

 

わたしたちは自分の肉に反する御霊のことばに賛成できなくなり、

 

信じることができずに心が頑固になります。

 

そこに神を受け入れる余地はありません。

 

種である神のことばを良い心、良い地で受け取らない時、

 

わたしたちは聖書が約束する30倍、60倍、100倍の実を結ぶ

 

豊かな人生は歩めません。

 

キリストの贖いによる神の義によって自己義から解放され

 

神の声を聞いていきましょう。