第二コリント 10:8-11 神から権威を与えられた人に対してわきまえる大事さ
8 あなたがたを倒すためにではなく、立てるために主が私たちに授けられた権威については、たとい私が多少誇りすぎることがあっても、恥とはならないでしょう。9 私は手紙であなたがたをおどしているかのように見られたくありません。10 彼らは言います。「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」11 そういう人はよく承知しておきなさい。離れているときに書く手紙のことばがそうなら、いっしょにいるときの行動もそのとおりです。############################パウロは神に立てられた使徒です。教会の柱でもあります。そのパウロでもコリントの教会の人たちの少なくとも一部の人たちは、尊敬をもって彼を見ることがなかったようです。パウロ自身もキリストのリーダシップを実践していたので、仕えるしもべのようにこれらの人たちに仕え、決してえらぶったり、群れを支配しようとしていませんでした。それゆえ肉的なキリスト者には時に舐められたのかもしれません。彼らは言います。「パウロの手紙は重みがあって力強いが、実際に会った場合の彼は弱々しく、その話しぶりは、なっていない。」パウロどころか地上におられた時に、キリストさえ舐められました。ただ舐められるだけでなく、平手打ちをされたり、鞭を打たれ、殺されもしたのです。キリストでさえそうであれば、その弟子のパウロもまた私たちも同じ目に遭わされたとしてもなんの不思議もありません。しかし、キリストが十字架で発せられた言葉のように、これらの人たちは自分が何をしているのか、分かっていません。創造主なる神である方とも知らず散々な仕打ちをし、それに飽き足らずに殺すという暴挙をしたからです。パウロはその弟子で神から直接任命を受けて権威を持った使徒だということを彼らは忘れていました。パウロはもちろん仕えるリーダーシップを実践していましたが、彼らが自分たちの無知のゆえに殺されないように、愛のゆえに彼らにある程度厳しく対処する権威を神から授けられていたのです。文面からもわかる通りパウロは強硬に彼らに対して出たくもないし、ためらいがあったはずですが、いつまでも彼らの思うがままにさせておくわけにもいかない現実がありました。神から任命を受けた尊敬すべき人を尊敬しないことは恐ろしいことです。