第一コリント 6:13 からだを通して霊的礼拝がささげられる
13 食物は腹のためにあり、腹は食物のためにあります。ところが神は、そのどちらをも滅ぼされます。からだは不品行のためにあるのではなく、主のためであり、主はからだのためです。####################################ここの「主はからだのため」という訳は注意が必要です。原語の意味からも、決して私たちの体のためだけに存在している、というような意味ではないからです。詳しい説明は省きますが、NLT(New Living Translation)の訳が原語の意味を反映しています。“You can’t say that our bodies were made for sexual immorality. They were made for the Lord, and the Lord cares about our bodies.”主はわたしたちのからだを大切に思っている、というのが本来の意味です。ですから、わたしたちのからだがどう使われるか、ということは信仰生活においても非常に大事です。このからだは復活の際のからだともなります。デジタルタトゥーという言葉がありますが、もしこのからだに対して犯す罪というのは、ほかの罪よりも重い、ということは確かです。ゆるされてるとはいえ、私たちはより注意する必要があります。それゆえ、使徒たちも細々とした律法を守ることを異邦人の信者に強いることはありませんでしたが、偶像礼拝と不品行に対しては十分注意をするように命令しました。からだは決して不品行のためにはありません。これはセックスを否定しているのでは決してないですし、セックスは神が作られた祝福されたものです。夫婦間のセックスをネガティブに感じるのは聖書的ではありません。これを決められた範囲で用いることは大いに祝福されることです。偶像礼拝は、霊的不品行につながり、不品行は偶像礼拝につながります。それは主を唯一の夫とする教会である私たちがやってはいけないことなのです。「ですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたいけにえとして献げなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」(ローマ12:1)