親2の医療器具を交換してる時

その医療器具を手に持ちながら


ふと同じリビングの自分の背中側を

見ると親1がスマホを当たり前の

顔をしてずっといじってた。



親2自身が「普段から人の話を

ちゃんと聞いてない親1に

こんな大事なこと(医療器具の交換の

手伝い)を任せるのは怖い。

Shocaに手伝ってもらいたい」と


言うんやからそれ以上自分が

何かを言うのはおかしいかも

しれないんやけど、


これまで親1は本当にたくさん

親2に色んな意味で助けられてるのに

病気で障がいが残ってもその

医療器具の交換を手伝おうとも


家族として思いもしないんやなと

考えると悲しくなってくる。



この医療器具の交換に限らず

「Shocaがすればいいやん」

「Shocaに任せてるからよろしく!」

という態度を決め込んで


親1はそれこそ寝ながらスマホで

ゲームしたりしてるけど、


親2の色んなサポートをすることに

文句を言いたいんではなくて


親1が初めから「Shocaがするべき」

「自分自身には関係ないこと」と

捉えてるのはおかしいなってこと。



例えば、どっちかが丸一日ずっと

全く休みもなく仕事に追われてて


片方が特に何もすることなく

いつも好きなことをして過ごしてる


というなら、その好きなことをして

過ごしてる側が親2のサポートを

してる間にその丸一日忙しかった側が

休んだりくつろいでるのも


そりゃゆっくりする時間も必要よな

と思うけど、そうではないのにな。



同じ条件でも

「Shocaがすればいいことやん?

何でこっちがしないといけないの?」

という圧力を初めからかけてきて


できる限り親1は自分の自由を

奪われることからは逃げたい

というのが伝わってくるのが


ものすごく家族の歪みを感じる。




親の都合で、昔いくつもの町を

違う地域、すごく遠い地域も含めて

渡り歩いた経験がある自分は


他の地域も複数見てきた上で

絶対的に地元が一番好き、

一番自分に合うと強く思ってる

本当に地元大好き人間。



将来こうなりたいという夢を

叶えながら、ずっと地元に住む

という方法や手段を気づけば


頭の中でいつも模索してる。



でも、実際にはその夢が叶ったら

また違う地域に住むこともある


というかその可能性の方がある。



何なら子どもの頃に住んできた町より

もっともっと遠くの

地元の人なんて絶対にいないであろう

所に住まないといけないかもしれない。



自分が将来に向けて本気で一歩

踏み出すことは、そういう可能性も

受け入れるということに結びつく。



一回承諾したことを、後々になって

「やっぱりそれは無理」とは

言えないと思うし、もしそうなると


もちろん自分自身がどこまで

そういう状況に耐えられるのかな

というのもあるけど、


親2がある程度自分一人でその器具を

交換できるようになったとしても


それ以外の面でも親1がまるで

他人のように親2のサポートに全く

何の配慮もしなかった場合に


親2の生活上の心配も尽きない。



親1は「Shocaは一生この家にいて

家族の面倒を見るべき、見て当然」

と思ってるのが伝わってくるし、


もし自分が夢や目標のために

こんなふうに生きていくなんて言えば

暴力や暴言を駆使してでも

自分の道を遮断するつもりやろう。



親2も、親2にとって理想に近い、

世間に誇れるような道に自分が

進むために独立するというなら


自慢にもなるし欲求も満たされるから

納得してくれそうな気もするけど、


自分が将来を考えてる道は

親の価値観や考えからは少し

外れてる方向性やから


批判や否定や罵倒はされても

世間体至上主義な人たちが

めちゃくちゃ大きい顔で胸を張れる

というわけではないし、


それを考えるとただ単純に


“自分がその道に進むために

今自分がするべきことは何か”


とか


“その夢も叶えたいけど

それを叶えるためには

地元から大幅に遠くに

住まないといけない可能性が

そこそこあるならどうするか”


という自分個人の問題ではなく


“自分が夢を叶えたいと

どうしても強く思った結果

親に危害を加えられたらどうする?”


というかなり大きい課題になるのが

頭がパンクしそうになる。



今年もこれは自分の大きな課題。


この三が日も淡々と家のことを

こなしながら頭ではフル回転で

そんなことを考え続けてる。







お正月の雰囲気は生活の中に
ほとんどないけど、手帳が去年のから
今年のになって、去年のは色々
貼り付けたりして重かったのが

今年のはまだ薄くて軽いから
それを感じると新年を実感する。