6月になりました。今月は定額減税の実務がスタートする重要な月となりますので、ご不明点がございましたら、各担当までお申し付けください。

今月は、人生折り返し地点を通過か!?半生を振り返る②(Jリーグ観戦編その1)について記載いたします。

 

 Jリーグが開幕したのは、1993年です。私はまだ小学生でした。当時は大変盛り上がり、日本自体の景気も良かったので、世界のビッグネームたちが次々に来日しました。ジーコ・リトバルスキー・リネカー・・・挙げだしたらきりがありません。

柏出身の私は、柏レイソルをずっと応援しておりますが、今回は、「横浜フリューゲルス消滅事件」を取り上げたいと思います。

 

(1)横浜フリューゲルス消滅事件

 

Jリーグの歴史の中で必ず触れなければならない悲しい出来事でした。横浜フリューゲルは、全日空とゼネコンの佐藤工業が共同出資するという形でスタートしたクラブでしたが、親会社の経営難がきっかけで、横浜マリノス(現、横浜Fマリノス)に吸収合併される形で消滅しました。存続を求めるサポーターたちの署名活動など社会的事件となりました。当時のサポーターの心情を考えると今でもやりきれない気持ちがします。発表されたとき、残る試合は天皇杯のみという状況でした。トーナメント方式で戦う天皇杯は、負ければそこで終了になります。つまり、負けた瞬間チームは消滅するという状況でした。そんな中、決勝まで勝ち残り、優勝を果たしたというドラマがありました。このフリューゲルス最後の試合のNHKでの山本アナウンサーのコメントは今でも、名言として語り継がれています。「私たちは忘れないでしょう、横浜フリューゲルスという非常に強いチームがあった事を。東京国立競技場、空は今でもまだ、横浜フリューゲルスのブルーに染まっています。」

 

フリューゲルスというチームは、日本全国をカバーする全日空が母体となっていることで、横浜市をホームタウンとしながらも、鹿児島、熊本、長崎という九州の3県も「特別活動地域」とする中途半端な形でスタートしました。これがクラブ経営を苦しくさせ、かつ横浜での人気もマリノスより劣るという立ち位置になってしまっていました。この消滅については、完全に大企業依存の体質が招いた悲劇と言えます。親会社の補填が無ければ1年も持たないということです。Jリーグ設立時の理念では、(プロ野球との差別化で、)企業に頼らず、地域に根ざしたクラブを育てようということで、チーム名に企業名を組み込むことを禁止しています。ただし、ふたを開けてみると大企業依存の体質が続き、30年経過した現在も、(地域に根付いたクラブも誕生してきているものの、)やはり依然として日立、日産、トヨタ、パナソニックなどの企業に頼る経営が主流で、そこに少々IT企業が参入してきているにすぎません。

地域密着自体は素晴らしい理念ですし、成功した側面もあると思いますが、「地域密着」=「企業名をつけない事」という極端な思考ではなく、「地域密着」かつ「企業名をつける」、という選択肢では何がいけなかったのでしょうか。

 

30年間を振り返り今後Jリーグがどう発展していくのか、期待しつつ見守りたいと思います。

 

 

今月もよろしくお願い申し上げます。

 

 

石田