昔から焼き物が好きだ。
中でも、今は織部が好き。
一番最初に、陶磁器に魅せられたのは、
神戸の白鶴美術館で見た李朝の白磁の壺だった。
その涼やかな気品に魅入られた。
まだ学生時代だった。
大人になって、
沢山の焼き物に出会った。
一時期は、石川県に住む人の
流麗な筆使いの墨絵の壺や、
銀彩の壺、深い緑が美しい緑釉の壺。
そして、躍動する絵柄が新鮮な絵皿や、
淡々として簡素な茶椀にも嵌った。
その繊細さが好きだった。
今は、織部が好きだ。
それも古田織部風の絵柄は無く、
ただ釉薬の濃淡の変化の微妙さに惹かれている。
その質感にも。
掌に遊ばせる感じも。
昨年の引っ越しの時に、
これまで蒐めたものを、
もう自分自身の終活のつもりで
何も遺さないつもりで、
全部お別れをすることにして処分したが、
今年になって、
コロナのお蔭で宗旨替えした。
目で愛でられ、手で触れる美しいものを
再び必要とするようになった。
どうしても、私には必要だと思った。
日常が大切だ。
日常的に、毎日、日々、
愛でることの出来る茶器や椀皿が必要だ。
どうしても。
私には、必要なのだと思った。
死んだときのことなど、
どうでもいい。
地震が来ようと、
台風が来ようと、
知ったことではない。
これからのちの短いだろう日々、
つまらない思いに支配されて、
暮らしたくない。
陶磁器に頭を直撃されて死んでも、
別に構わない。
気に入らない食器や、
愛しも出来ない皿や茶碗で
毎日、食事をするよりは。
もちろん、対策はした。
それも、必要十分に。
出来る限り。
心おきなく生きたいから、
心おきなく、愛するものを、
この目、この手で触って暮らしたい。
