と、毎年、同じなんだけど。

去年は、年末近い頃、
胸を打って、未だに痛いから、
そこで思ったこと。


今年は、ますます「無事是名馬」
を目指して、
ともかく、
命を落とさないようにすること。

この調子では、いつか私は、
きっと事故死すると、
思ったから。

 

とにかく、慎重に、
集中力と瞬発力を、
失くさないと言っても、
失くしっ放しだから、
せめて現状維持できるよう
努力すること。

 

運動は苦手だけど、
アキレス腱を切ったりしないよう、
突き指にも注意して、
指や手足を鍛えておくこと。
などなど、
寄る年波の対策が必要。

 

私の気分としては、
子どもも、
それぞれ独立して暮らすようになって
10年近くなり、
何の世話も焼けなくなったし、
孫は可愛いが、まだ三歳だから、
その子の未来までは、
私の手の及ぶところではない。


ということで、
自分自身も、
寝付くようなことさえなければ、
他には、これと言った苦もなく、
劇場通いは、少なくなったが、
その分、たっぷりした時間で、
毎日視放題のCS放送や録画を味わえるし、

好きな日帰り温泉や、
銭湯めぐりもゆっくり出来るし、
人様との人間関係も大事に、
丁寧に暮らして行けば、
後、何年かは、
生命を保っていけるのかな、と思っている。

 

ある意味、
私の人生は、もう終わっているのだけれど、
終わったからこそ、義務も責任もなく、
本来の自分自身の性格通りの日々が送れる。

 

でも、明日、何が起こるかもわからないのは、
それこそ、晴天の霹靂のようなことが、
ここ二・三年の間にも、よくあったから、
というより、我が人生は、全て、晴天の霹靂で
構成されているのかと思うほど、
吃驚するようなことが多いとも感じている。

 

でも、幸運なことも多く、
宝くじには当たらないが、
天罰でも当たるべき性格の割には、
神様は、今までのところ、
お目こぼしして下さっている。
(油断大敵、明日に嵐の吹かぬものかは、だけど。)

 

危ない目に遭うのは、
さらに危ない目に遭わないために、
警告されているのだと思うから、
大難が、小難で済むように、
後で、近くの神社へ行って、
お守りと破魔矢でも買って来ようかな。

 

 

一昨年まであった神棚は、
一昨年の年末、
お焚き上げしてもらって処分したから、
今年からは、御札は買わなくていい。

榊やお神酒を供えることもなく、
供え餅を飾ることもない。

 

仏壇も、江戸時代からのも入っている
先祖の位牌も、心に痛みは伴ったが、
供養して処分した。
子どもには、引き継げないからだ。

 

本棚の上にも置けるような、
コンパクトなオープン仏壇にして、
サイズを小さくした繰り出し位牌に
収めた。

 

毎日、お灯明を点すのも、
お線香をあげるのも、
それはそれで結構安心の拠り所の
ような気分にもなるのでしている。

 

ついでに、
なるだけ子どもに迷惑をかけないよう、
夫と私の戒名も頂いて位牌も作った。

 

私たちが死んでしまえば、
子供には、負担をかけたくないので、
お寺にでも納めて処分してもらうなり、
気にならないなら、供養もお焚き上げもなく、
処分してもらってもいい。

 

私がコンパクトに変えたのは、
ただ、私の代までは祀ろうとしただけで、
これからの人に、引き継いでもらいたいとは、
思っていない。

 

処分するにしても、コンパクト化して、
荷を軽くしておきたいだけ。

人間は、死んだら灰になるだけ。

いつでも、好きなように処分していいよと
言っている。

 

 

また、田舎のお墓は、山奥過ぎて、
とても将来、お墓参りにも行けないので、
駅から5分で行ける近くの小平霊園に移した。

 

もうこれで、私のすることは、
大雑把に言えば、何もないのだ。


死体になってからの私自身のことまでは、
これは、どうしようもない。


醜く老いさらばえたくはないが、
これも、致し方ないこと。


最後は、出来るだけ綺麗にゼロになれるよう、
せいぜい心掛けたい。

 

全て、何事も簡略化し、
私が死んだ後、一気に、片付けられるように、
おいおい、して行こう。

 

 

と言いながら、昨年、新しいお布団も要らないと
処分したのに、一昨日、また近くのお布団屋さんで、
新しいお布団を作ってもらった。


届けて貰ったばかりのお布団で寝て、
とても満足している。

こういう試行錯誤は、
想像力の無さゆえなんだろうけど、
より気に入ったものに買い替えたと思えば、
これはこれで幸福。


こうした小さな幸福とも言えない幸福を、
若い日は、全く感じなかった。


それだけ、人生の視野が、
縮小化しているのだろうか。

昨日の夕方、吹いていた強風も止み、
穏やかな青空に富士山の白い雪が美しい。
朝夕、綺麗な富士山が見えるのも、
冬の楽しみだ。

 

ま、とにかく、死ぬまでは生きているのだ。
死んだときは、自分が死んだことを知らないのだ。
ということは、生きている限り、自分の生は永遠だ。