要介護になったらどうなるか。
ということ。
世の中には、老後計画について、
各種のシミュレーションがある。
政府や、評論家や、
月刊誌や週刊誌、
個人のブログなどで、
様々な老後の経済計画が語られている。
年金収入はいくら、
使う生活費はいくら、
余裕ある生活費ならいくらと。
で、抜け落ちているものがある。
それを組み込めば、
全てがアウトになるからだろう。
それを組み込めば、
計算にも計画にもならない。
それを前提や根拠に入れてしまえば、
全ては、無理ということになるからだろう。
しかし、様々な例を取り、
厚生年金の支給を受けている人の場合、
国民年金だけの人の場合、
とか、いくら分けて考えても、
抜け落ちるものが大きいと、
そもそも計算が成立するのだろうか。
各種シミュレーションで語られる内容は、
平均的に使う額と、収入の差を埋めるために
どうすればいいか、
いくらずつ積み立てればいいか。
年金支給額と、
平均的生活費との差額を穴埋めしするモデルシミュレーション。
例えば、
現在時点での厚生年金支給額平均標準モデルで
平均支給額23、5万円ほどと、
実際の生活費28万円の差額を、
平均毎月5万円ほどに見積もっての
老後資金穴埋め計画など。
もう少し余裕を持って35万円として、
プラス毎月10万円ほどを用意すればいいなど。
しかし、このような例は、健康でさえあれば、
というのを前提にした計画であり計算であると断らなけば。
一旦、不発弾のような要介護爆弾が炸裂すれば、
生活費と同額程度の出費を、別に必要とすることを、
きちんと断らなければ。
個人でも、国家でも、
医療費と介護費用の見積もりが、
現在時点の健康である時代の延長のように設定され、
爆発的に増える設定がされていない。
団塊の世代が、75歳になるのは目前なのに。
その後、10年も20年も生きるかもしれないのに。
80歳、90歳に団塊の世代がなる頃、
団塊の世代ジュニアも、
60歳台になっているかもしれないのに。
それが特殊な例ならともかく、長寿時代では、
健康で、最後の日まで誰の世話にもならず暮らせる方が、
寧ろ少ない時代となったのだから、それなりの
現実的なシミュレーションを用いるべきだ。
それをほぼ考慮にも計算にも入れないで
各種シミュレーションは成っている。
考えたくないことは考えない。
その時はその時、何とかなるさと、
考えてもどうにもならないことは考えない。
それだけを根拠に、現在のシミュレーションは成っている。
現在の生活費ですらギリギリの計画の中から、
どのように、要介護状態になった場合の
毎月+20万、+30万を負担するのかと
いうことを抜きに、
老後の計算がされていることを、
まず疑わなければならない。
足りないのが少額なら補いも付くだろうし、
計画の組み換えで対応も出来ようが、
毎月、20万、30万円、
ということは年間では何百万、
×その後の生存年数、
であるとして、
どのように補いがつくものだろうか。
居宅介護であれば、それほどかからないと考えているなら大違い。
介護度に応じて必要なサービスを受けられるならまだしも、
介護度切り下げ・切り捨ての時代。
必要な要介護度に見合ったサービスは、ほぼ受けられず、
超過分を自己負担で利用すれば負担率10割となり、
医療における自由診療と同じ。
定額内の限度がないだけ、療養型病院や介護型老人施設よりも
多額になる場合も。
そして、それを正面から受け止めれば、税の使い道にも変化が出来ようというもの。
防衛費よりも、保育、教育、医療、介護に税金は使うべき。
もちろんずっと元気で、病んだ時は、
多額の介護費用など必要とせず、
速やかに死ねれば問題はないのですけれどね。
☆
「ナチスが最初
共産主義者を攻撃したとき
私は声を上げなかった
私は共産主義者ではなかったから
ナチスがユダヤ人を連行して行ったとき
私は声を上げなかった
私はユダヤ人ではなかったから
そしてナチスが私を攻撃したとき
私のために声を上げる者は誰一人残っていなかった」
マルティン・ニーメラン
☆
いつも、関係ないと思うところに、
何かが生まれる。
関係ないと思っているうちに
死ねればいいね。
