お立ち寄りありがとうございます。
私は、人のことを宣伝したり、人と人を繋げることは得意なのですが、自分のこととなると、宣伝もアピールも苦手なのです。
このブログは、自己表現、発信の場であるにも関わらず、大切なレイキのことはしばらく書いていませんでしたので、今日は改めて書いてみたいと思います。またシンプルには書けそうもありませんが、よろしければお付き合いください。
私にとってのレイキはというと、自分の一部になっていて、空気のような?当たり前のものなのですが、「レイキ無くしては今の自分はいない。」、これまで多く恩恵を受けてきて、不思議な経験も沢山してきました。
私が最初にレイキを受けようと思った理由は、一つは本当の自分は何者であるかの「自分探し」、そして自分にできるのであれば、ハンドヒーリングで「人を癒したい」ということでした。
そして、アチューメントを受けて帰ってきたその日に、持病の腸閉塞の症状に苦しむ父に遭遇し、半信半疑で手を当ててみると、痛みが和らぎ、腸も動き出し、いつもなら救急車を呼ぶところを、病院にも行かずに済んだという経験をしたのでした。
受けてきたその日にそのようなレイキの凄さを経験して、「人の痛みを和らげたい、癒したい」という方の気持ちが強くなっていき、人が痛いとか辛いと言っているのを聞くと自分のことのように辛くなってしまっていた私は、そういう声を聞くと手を当てずにいられなくなっていったのでした。(人との境界線が曖昧だったのです)
私自身の変化はというと、レイキを受けることで『玉ねぎの皮を剥いでいくように自分の本質に戻っていく。』と言われるように、少しずつ本当の自分を取り戻していき、必要な新しい出会いや経験を引き寄せていくようになっていきました。
(ここの部分は継続中です。)
ヒーリングに関しては、続けていくうちに疑問を持つようになっていき、少し離れていた時期がありました。
自分のことを後回しにして、人様のことばかりやっているうちに、自分を消耗させてしまっていたのです。
今も多くのヒーラーが体調や精神面を崩してしまっているということを耳にします。クライアントさんが良くなっても、ヒーラーの方が心身を消耗してしまっては本末転倒ですよね。
そもそも、「人が人を癒したい。」なんて、エゴなのではないか。 沢山悩みました。
またやめてしまおうかとも思いましたが、どうしても「レイキの手を使いたい」という思いは湧き上がるばかりです。
病気や身体の痛みには意味がある。精神的な辛さも、潜在意識では望んでいる状態なのかもしれないし、逆に心のSOSなのかもしれません。
身体や心が「気付いて」と言っているのに、「ヒーリングで楽にしましょう。」というのは何かが違います。
自分自身を常に浄化し、整えておくこと、そしてしっかりと境界線を引くことは不可欠です。
ヒーラー側の、「癒やしてあげたい」という気持ちと受けられる側も依存心から「誰かに楽にしてもらおう」という気持ちが一致してしまうと共依存になってしまい、誰も幸せになれません。
ヒーラーは寄り添ってクライアント様の力と気付きを引き出すお手伝いをするだけ。クライアント様も決してご自分な力を譲り渡すことをせず、「治すのは自分」という意識を持っていただきたい。
その関係が上手く行った時に本当の癒しが起こるのだと思っています。
これからは一人一人が自分だけの個性を輝かせて、自立して自由に生きる時代。
でも決して一人ではない。
そのために、レイキは大きな力になってくれるものだと思っています。
癒しのためのレイキから、深い眠りから目覚めてしっかりと地に足をつけて自分の人生を生きるためのレイキへ。
今、私がレイキについて思っているのはそんなところです。
レイキのアチューメントを受けてみることから始めてみませんか?
次回もレイキについて、書きたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。