おはようございます。
私は今、ウズベキスタンの古都ブハラの旧市街にあるホテルに滞在していますが、日本とウズベキスタンの時差は4時間なので、時差ボケはほとんどありません。
ウズベキスタンは東西に長い国ですが、国内の時差はないのはとても明瞭で、この点では国内に11種類の時間帯が採用されているロシアは横断が大変だと思います。
まあ、逆に中国みたいにあれだけ巨大な国土に、中央集権的な効率性から1種類しか時差を公式には設けないのはそれはそれで無理がある気がしますね(苦笑)。
【初上陸の隣国で乗り継いだ旅路】
さて、今回から連載するウズベキスタン旅行ダイジェストですが、初日(一昨日)はほぼ移動で終わりました。
まずは午後1時過ぎ、アシアナ航空にスターアライアンスのゴールド会員資格を使って優先搭乗し、
約2時間半と沖縄に行くより短いフライト時間で、将軍様の恩寵の地・朝鮮半島を目指します。ちなみに、そんな短いながらも機内食は一応出たのですが、
すき焼き風の牛肉は普通な一方、ご飯の底の部分が十分に炊けてない点が実に不快で、物事の本質に目が向かない朝鮮半島の文化・民族性がこんな所にも現れていました。
まあ、すでにANAラウンジで十分昼食をとっていたので、こんなものは少し口につける程度に留め、
定刻の午後4時前には南朝鮮の金日成国際空港、じゃなかった仁川国際空港に到着します。
今回は乗継時間が45分と大変短かったため、敵性言語(日本語・英語)が目立つ、朝鮮民主主義人民共和国らしからぬターミナル内を早足で進み、
再び優先搭乗で機中の人となりました。
今度のフライトは約8時間、中国を横断して中央アジアに入る中距離便ながら、出発地・到着地とも深夜にはかからず、熟睡すると時差ボケになりかねないので、
今度はまあ悪くなかった夕食の機内食をいただいてからは、Nintendo Switchのゲームをプレイしたり、音楽鑑賞をしたりしてゆっくり寛ぎました。
ちなみに、フライトマップには朝鮮半島の隣に謎の「東海」とかいう名称が記載されていましたが、一体どこの海のことなのか謎は深まるばかりです…(困惑)。
それはそうとフライトは順調に進み、現地時間午後8時半過ぎには、目的地のタシケント国際空港に到着。
某マレーシアほどではないものの、やはり入国審査はまだまだ時間がかかるなあと思いつつ、
途中で現地通貨も入手してから、現地ガイドの案内に従ってツアーバスに乗り、空港を早々に出発します。
こういう時、ツアーは本当に楽だなあと思います。
そしてホテルに到着した時には、すでに午後11時前となっていましたが、私がこのまま夜に何もしない訳もなく、
客室で荷物整理をすると、すぐにタシケントの夜の中心部巡りを約1時間敢行しました。
外資系ホテル(写真1・2枚目)も複数立地するタシケントの中心部は、全体に緑豊かで静かな印象を受け、
また、観光名所のアミール・ティムール博物館(写真1枚目)をはじめ、それなりに著名な建物でもライトアップがされておらず、全体にやや暗めに映りました。
加えて、妙に屋根が低い地下道(写真1枚目)や左右対称・巨大な欧風建築(同2~4枚目)は、旧ソ連邦の国らしさをどこか感じさせる一方で、
深夜にもかかわらず、露店等が立ち賑やかな公園(写真1・2枚目)の脇にイスラム風の建物が見られる点からは、ここがムスリムの国であることが窺えます。
そして、この夜に個人的に興味があって訪れたのが、
巨大なティムールの騎馬像が建つティムール公園、
巨大かつ威容な大統領官邸を奥に臨む独立広場、
さらに第二次世界大戦後、ソ連に抑留されタシケントに連れられた旧日帝兵が建てたナヴォイ劇場の3つです。
これらの詳細は旅行記本編で触れるほか、ナヴォイ劇場は最終日に改めてツアーで訪れますが、
例え暴虐非道の日帝兵とその軍属だったとしても、我々日本人の先人が築いた遺産を祖国からはるか遠くの中央アジアで早々に見ることができたのは、よい思い出です。
あと、ショッピングモールのドレスの展示(写真1枚目)やナイトバー(同2・3枚目)を見て、ムスリムといっても戒律が緩い国ということを実感できました。
ただ、ナイトバーの看板に仏像(お釈迦様)を使うのは、個人的には天罰が下っても仕方ないと思いつつ(苦笑)、ホテルに戻って初日の夜の街巡りは終わりとなります。
【高速列車で訪れる歴史ある古都】
さて、実質的な観光1日目となる2日目は、タシケントのホテルで朝食を済ませてからツアーバスに乗り、
そして朝から混雑する市内中心部の道を通り、近隣にレトロな鉄道展示(写真1枚目)も見えるタシケント駅(同2枚目)に到着します。
この駅から乗るのは、スペインのタルゴ社製造の車体を用いた高速列車「アフラシャブ号」です。
2011年にタシケントーサマルカンド間で開業したこの列車は、現在は今回の目的地のブハラまで延伸し、その運行距離は約600km・所要時間は約4時間となっています。
そんなアフラシャブ号では、サービスのお菓子(写真1枚目)をいただきつつ、時折車窓の景色を楽しみましたが、都市部の間の荒涼とした砂と土の趣は、日本の緑と田園風景の鉄道沿線の眺望とは全く異なるものでした。
そして4時間後、午後1時過ぎにはブハラに到着すると、
まずは再びバスに乗って旧市街の中心部に向かいます。
ホテルに着いて荷物を降ろしてから、遅めの昼食をとるため旧市街の一角に建つレストランに入り、
中央アジアの伝統料理「ラグマン」(写真3枚目)をメインに、地元の味を楽しみました。
ちなみにラグマンは、わかりやすく言うと「洋風の焼きうどん」とほぼ同じもので、トマトベースの味は日本人の口にもよく合っていたように思います。
さて、ここからはブハラ旧市街の散策に入りますが、旅行記本編との差別化の観点から、ここでは写真のみを順次紹介していくことにします。
最初はイスマーイール・サーマニー廟。
9世紀末に建築された中央アジア最古のイスラム建築で、20世紀初めに発見されるまで土に埋もれていたため、幸運にもモンゴル帝国による侵略・破壊を免れました。
続いてこちらは、18世紀以降の歴代ブハラ・ハン国の王の専用モスクだった「ボロハウズ・モスク」です。
ファサード自体の装飾はもちろん、彫刻が施された20本のクルミの木を用いた柱もまた魅力的に感じます。
そしてボロハウズ・モスクから道路を挟んで向かいに建つのは、ブハラ・ハン国の王城「アルク城」です。
13世紀のチンギス・ハンの侵略と破壊をはじめ、古代から何度も破壊と再建が繰り返されたため、現存するものは18世紀のブハラ・ハン国時代の再建とされています。
現在は、歴史博物館として利用されているため、
王城の華やかさはモスク(写真3枚目)などにわずかに残すのみとなっており、全体に豪華絢爛というより、諸官庁も入った実用性重視の施設という印象を受けました。
この後も日中・夜で趣を変える魅力的なイスラム建築群を見て回ってきましたが、出発の準備の都合から、今回はここまでとします。
次回は、ブハラ市内散策の続きから再開して、今日(3日目)の内容まで可能な限り進める予定です。
ではでは。