秋になり、受験生は過去問の季節になりました。

数年前からこの演習が気になってました。
自分なりに、東大にお子さん四人を合格させた、あの佐藤ママの本、あれはやはり拝読しておりました。
表紙から全て切り離して使うとあったので、まだ四年生ではありましたが買って切り離していました。科目毎に分け、解答解説も分けファイリング。
でも全てをカッターで綺麗に切り取れなかったし、両面あるといざキンコーズで問題用紙をコピーする時に、B4サイズ(B5×2)にするのに、もう一枚B5を単独コピーして二枚並べないと冒頭の頁が片側だけになり冊子の形には格好悪く、手間でした💦💦

私は、算数の苦手な娘に計算余白を入試校の考えに即した入れ方をして、(まあ、音楽業界も、コンクール準備をするのに、できる限り本番に近くして練習、リハーサルするのが当たり前という常識)本番の感覚を養って欲しく、またそれで失敗するなら尚更今からトレーニングしないとならないと思っています。

なので、原本を貰える学校は良いのですが、併願校も合わせるとそんなにこの時期一月校まで、説明会に行かれるとも限らず諦めていました。

四谷大塚ドットコムサイトの過去問データ、現在進行形でアップされてますね。
あれをコピーしてみると、恐らく原本がほとんどではないでしょうか。解説解答があるのは、出版社から、解答は学校側が出した模範解答ではないかと。出版社のものをそのままコピーするよりはよし、それを切り貼りもしてみましたが、余白がやはり専門家じゃないのでわからない💧
ですから、余白が入試の通りなら、これを使おうと。

早速、USBにデータをコピーしてキンコーズでコピーし始めたら、原寸サイズではない、ミニチュアサイズがあったりして😓これは予想外でした。

まあ、志望校はただコピーすればよいのではなく、冊子形式でありながら全ての頁がバラバラに外れるようになっていて、私はそうできる幾つかはやってあげ、あとは、製本してノリで貼ってしまいました。


ま、でも我が子のために、いろいろしてみて、親がしてやれることをすればいい。
そうすれば、後になっても悔いはない。

そう思いながら母として納得のいくバックアップをしていけるようにと思います。

さて、解く本人は、これから来る運動会、学芸会が土曜にありますが、どう過去問スケジュールをこなしていけるのか、ただただ親として見守るしかないかなと思っています。


受験生がいるので、今年度の仕事はセーブしたはずが、試験の数が増えて考えが甘かった。

個人のピアノ教室の発表会を毎年秋にしていて、9/17に開催。10月以降の開催はアウトだろうと。

でも、9月も志望校別コース、土特やら模試も他塾のがあったり、もう大変!それに併願校やらの六年生入試説明会やら…地域のお祭りに、学校参観、保護者会に塾の保護者会に面談💦

我が家は3,4年で文化祭や一日体験、オープンなど行き始め、五年で再度行きたいところに行ったお陰でこの秋は行かなくて良さそう。勿論切りはないですが。本人にそんな余裕はないようで😓

そんなこんなで、お教室の生徒さん、親子連弾レッスンはサービスで土曜にしたり、間に合いそうにない、ソロに関しては10分レッスンにおいで!などで対処、またそこまでいかなくても、お母様方のご協力でおうちで撮影したスマホビデオで軽く注意、アドバイスをしたので、なんとか形になった会ができました。

やはり、お教室の発表会(うちは、お勉強会と呼んでます💦)は、先生の顔なので、出して恥ずかしい演奏にはさせたくないし、出したくないのが本音。

今回は茶話会の後で、4回目発表会として初めて、保護者会をしました。

子どもがお菓子を食べてる中なので、ガサガサ、ペチャクチャ、でも皆さんが気になる内容になると、子どもまで「シーン」となる場面が数回あり、これには私もビックリ‼️
まあ、今まで思って来たことが噴出した内容で、お母様方も、私が「マジ⁉️」なのがよくわかったのではないでしょうか。

今、こんな世の中でピアニストを目指したいと門を叩く幼児親子はいない訳で、ピアノが弾ける子は、一つ人より秀でているわけであり、お勉強のできる子、運動神経の良い子が多いです。
そういうことは、天才児ではなく、普段の基本的生活から成り立ってるということと、お子さんの自尊心を育てるべく、ご自身も育児を楽しくして、育自をしていきましょうていう、多少耳の痛い話だったかもしれません。

子どもたちの演奏はといえば、最高学年が小学2年なので、未来が楽しみな子どもたちばかりで、ほとんどの子たちに笑顔が見られました。せいぜい進度としてはソナチネくらいのレベルですが、クラシックでまとめたプログラムでした。

お教室の運営は四年以上たちますが、来年は5回目のお勉強会、さて、どうなりますか。
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今日、FMの放送で2時間生誕100年ということでディヌ・リパッティの特集番組があった。番組を聞いて、私のリパッティ熱が再燃した。

私はお稽古事として、ピアノを習いに行き始めたのが5歳。鈴木鎮一のスズキメソッドを選んだのだが、藤原歌劇団のバックコーラスにいたことのある母が、若いころ疎開先だったのが鈴木鎮一さんの故郷でもありメソッドの本拠地だった長野であったことから選んだようだ。
そのメソッドでは、ギーゼキングやリパッティのLPを買わされていた。いわゆる、その当時楽譜を読まずに弾かせるメソッドだった。

小さい頃より音楽のレコードを聞くのは好きで、母が洗濯をしてる間に表面を聞き、「裏面に返して」と家事途中の母にねだって大人しくデッキの前に座って聞いていた。その中にリパッティのレコードもあった。
スズキのお陰で「ここからよ」と弾き始めのキーを母に教えてもらい弾けてしまったらしい私は暗譜は、後に勉強したバッハの4声フーガも苦労しなかった。

リパッティのレコードジャケット裏面には、ルーマニア出身のピアニストで33歳の若さで白血病で夭逝したと書かれていた。
そのことは、白血病という文字に捉われ、文字の下にアンダーラインを引いた跡が今も残り、「赤い血が白くなる病気だから、余程の病気だろう」と小さいながらとても特別な感じを持った記憶が残っている。
小学生高学年にはなると、下敷きに「リパッティ命」と油性マジックで書いたのを授業で使用して彼のことを思い続けて友人に聞かれても堂々と答えていた。
大人になると独身時代は必ず彼の誕生日と命日には録音を聴いて偲んだ。

音の綺麗なギーゼキングを選ばなかったのは何故か今でもわからない。
でも私にとって、リパッティの演奏の魅力と感じる部分は、音が透き通っていてだからといって芯のある、1つ1つがとても輝いた深く響く音(スカルラッティやショパンの舟歌など)でとても大きな器の演奏であり、繊細な音色の変化、弱い音でも遠くまで届くような、それが幅のあるダイナミックな演奏になり、でもわざとらしくなく、堂々としていて飾り気なく自然、そんなところが大好き❤

全集をLPの時代から集めた。子どものころ、私のクリスマスプレゼントとなった。
彼の伝記や書かれたものは学生の時に読み尽くした。
彼は作曲もしたので、左手のためのソナチネは、彼の弟子ベラ・シキによる生演奏を聴いてから感銘を受け、楽譜を取り寄せ、自分もリサイタルで弾いたことがある。
彼の作品の中でも10代の頃ラジオ放送で聞いた「オーバード」という木管の室内楽アンサンブル曲はなんとも言えない感動があり、毎日中学校へ行く朝に聞いていた記憶がある。

今日ショパンのワルツ、作品42が放送で流れた時、久しぶりに聞いたのに、自分が耳コピーで彼の演奏をなぞるように弾いていた気がしてきた。
この曲は私の中でも特別で、コンクールの本選でこのワルツを弾き、審査員たちに「ちょっとあのテンポは早すぎるけど…」と言われた曲。我ながらよく弾けた。
その早いテンポ、今日聞いたリパッティもどちらかというと早く、何だか私が知らない間に彼の演奏をパクっているところがあるのでは?と頭にある自分の演奏と若かりしころのコンクールの演奏を思い、自分のしたことにゾクッとした。20年以上前のことだが。

とにかく、このピアニストは1世紀に1人出るか出ないかの逸材だと思う。

また、クラシックど素人の主人には、こんな話をしてもわからない人、感じない人には無理だと言われるが、その人の芸術に触れないことにはわかりようがないのである。
そういう考えで我が子や生徒たちに私は接してきている。
今日聴いても、やはりリパッティの演奏は、唯一無二であり、人の精神の奥深いところまで響く芸術的な演奏家と再認識してしまった。
この感動は、普段雑多な都会暮らしをしている私にとり、人間らしい本当の姿、真っ直ぐ前を歩いて行けばいいんだよと背中を押してくれたようにも感じ、本当に良いひとときだった。

リパッティファンが増えますように。
私は死ぬまでに彼のジュネーヴにある墓参りをしたいと思い続けている。

12/2の命日には、茗荷谷だか本郷三丁目の喫茶店にいき、彼のブザンソンの告別演奏会の生写真が大きく飾ってある席で1人お茶をしてきたこともある。

でも、この情熱は我が娘たちには教えても伝わらない、寂しい。今の人たちにはこういうのはわからないのだろうか。
とりとめのない日記となってしまった。

また、ピアノを生き生きと弾きたい。