もともと音楽畑なので、楽譜を書いたりは専門分野でできても、事務は、ワードもエクセルも分かりませんでした。

ピアノ馬鹿の挑戦だったのです。

 

お教室の事務的なことや大学の講義関連の教材メモ、ママ友名詞、年賀状などを書いたりするようになり、段々PCを毎日開くようになってきました。

ほとんど主人に聞いて習ってできるようになったのですが、

最近はググったり、長女に聞いたり、OLの友人に聞いたりしてなんとか凌いでいます。

 

今回、初めて次女の塾テキストの解体をしました。

情報としては、長女のころから過去問の解体も耳にはしていましたが、失敗したらどうしようとか、複本を買う気まではなかったのでした。

でも、今回次女の算数でノートに貼ることが増え、何十ページもテレビをみながら本をめくり、バタッ、バタッ、を繰り返してスキャンしたものは、データの字が掠れたり、曲がったりして肝心な時にそのページを使うことになって、骨折り損のくたびれもうけを数回味わいました。

次女に「テキストの回毎に製本してあげるから」、重いのを毎回塾に持っていかずに・・・と提案したのに却下されたので、一気に複本を買うことにも勢いがつきました。

 

四谷のテキストとワセアカは練成問題集も複本を買いました。(今のところ、算数予シリ、計算、理社の応用演問<こちらはワセアカには不要なのですが某ブログから購入を決めました>のスキャンが済み、この分だと7月中に結構片付くかもです)

 

解体の仕方は、少しググりましたが糊をとるのに、色々するのは面倒くさいので、とりあえずもう終わった上巻を恐々剝いで見たのです滝汗

そしたら、割とすんなり、「ああ、表紙も思ったよりペラペラな紙だったんだなあと」実感しました。

両側から少しずつ剥いで、私の場合あとは指で丁寧に破れないように剥き、あとはカッターで切ります。

 

このあと、5枚とか3枚で複合機MFC-J6997CDWのオートシーダーでスキャンを試しましたが、糊付けされていたところの処理が悪いのか、数回吸い込むうえ側の真ん中がきれてえぐれてしまう状況、紙はしわしわで骨が折れましたポーン

それで、調べてみればこの型は50枚高速でスキャンできるみたいでびっくり

 

それで、糊付けされて剥いだギザギザ面をハサミで揃えて、私は多くても15枚をオートシーダーにかけてスキャンしました。

(解体後のテキストは順番通りに思ったよりペラペラだった表紙にくるんで本箱に)

 

この後、算数は宿題になったところを1問ずつA4ノート40枚(100均で購入)にB5でワードに貼った問題を、線分図や式などを書くスペースをあけて貼り印刷してスティックのりで貼っていきまやっていますす。

 

面倒くさいかもしれませんが、私は結構楽しんでやっています照れ

 

理科や社会はできなかったところを上記のようにしたり、プリントでこなすようにさせようと考えています。

社会は私も好きなので、とても良い勉強になっています。

 

いずれにしても次女の塾勉は試行錯誤。

いろんな方のブログを拝見したり、佐藤ママのYou Tubeライブや安浪先生のインスタライブ刺激を受け、落ち込んだり励まされたりいろいろですが、とにかく、やってみて我が子に合う方法を見つけるしかないのですよねあせる

 

腰の養生

お陰で、複合機とPCの行き来で左側がやられて、たぶん叔母のお葬式から猛暑の疲れもあってか、ぎっくり腰になりました笑い泣き

 

でも、鍼灸院の先生の勧めで購入できた置き鍼を10個くらいしていったら、昨日の大学の授業は何とか痛みに耐えかねることはなくこなせましたショック!

主人は鍼灸院へ行くように勧めますが、今のところこの置き鍼で何とかなっています。一度同じ側の股関節がすり減って難儀だったことがありますが、その際リハビリの先生に100均でテニスボールを買ってきて仰向けに寝た姿勢でお尻や腰の横にボールをあてて、体を上下左右するとほぐれる指導を受け、それが良かったのでやっています。

 

話題変わり、ちょっと音楽の話。

そういえば、FBのWatchでメニューインとグレン・グールドのバッハのソナタで、とても面白い映像を観ていました。

グールドはFBでグループに入ってしまったほどで、ゴールドベルク変奏曲は彼の1回目の録音が頭にこびりついています。

彼とメニューインって・・・!

それがまた、テンポは全くVnのことを気にかけずに弾いていて、確かにあんまり気にして間をあけて弾くとバッハの形は壊れるかもと思ったりして、メニューインもグールドに合わせてこれだけ弾ける腕を持っているわけで、とにかく流れがグールド❣で、これを聞いてまた私もご機嫌になったのでしたウインク

 

 

 

 

 

 

 

 

 

叔母は、私が生まれたころより同じ家の中で暮らしていた人で、ピアノ、バイオリン、ビオラ、エレクトーンを教え、独身でした。

 

ですから、私の亡くなった両親よりも長く一緒に暮らした身内という事になります。

 

その叔母が6月に他界致しました。

 

入院生活も15~20年前辺りから難病発症に始まり、プラス病気もいくつも重なり、出たり入ったりでしたが、割と経過も良く自宅で過ごせたことが多かったように思います。

年齢からはあまり似合いませんが、天真爛漫で些細なことは気にしないでおおらかなとことのある人でした。

寂しがり屋さんだったのか、日に1回は上の階に住む私の娘たちを見に上がって来たり、私たちもそれを知っているので娘の誕生日や年末年始には食事やケーキの席に呼んで賑やかにしました。

 

初めに書いたように、彼女から私はドレミファソラシドの音階の弾き方を習ったのですから、恩師でもあるわけですね。

私が物心ついたころにバイオリンを握らされたこともはっきり覚えていますが、「あんな窮屈なもの」という印象で、その時既にピアノは押せばなりますから笑、「わたしにはピアノがある」という思いでバイオリンを習うことは一蹴りしてしまいました。

大人になっても、彼女の方が音楽教室で講師をしていたり、自宅でも教えておりましたので、所謂同業者だったわけです。

ですから、職を引退してからもよく私の話を聞いてくれましたし、両親が亡くなってからは彼女が身内で唯一クラシック音楽の話を気軽に話せる仲だったのです。

 

一緒に暮らすというのは下階であってもいろいろあり、大変なこともありましたが、亡くなったことを知らせた人には「あなたがいて、彼女は良かった」「よく面倒を見てくれた」という言葉をいくつもいただき、親が亡くなった時にない、人から感謝された気持ちになりました。いつも、私の中で彼女の何かをしてあげるときに、キツク彼女に悪態をついたりすることも正直ありました。

「親でもないのに」という感情が片隅にあり、ムキムキと顔を出してくることがありましたから、それに対して、それらの言葉は染み入るように、わかってくださる方がいて、心がスーッと引き潮のように引きます。

そして、天国にいる叔母もきっと喜んでいてくれるだろうとありがたい思いでいます。

 

叔母は強い人で、3年ほど前にも難病からくる症状で入院中に、体の免疫がものすごく衰え、帯状疱疹や、膀胱炎から敗血症に2度もなり、死の淵を彷徨いました。

これで血圧が上がらなかったらといわれてお見舞いから帰り、夜中に病院から電話があったのは、私の音楽教室の発表会の数日前で、発表会当日に亡くなったらどうしようなどと、本当にお騒がせな人でした。

でも、見事に帰ってきてくれて、「すごいすごい!」と見舞いで連呼して、彼女を元気づけたいと、五島みどりさんのチャイコフスキーのバイオリンコンチェルトを聞かせたのを思い出します。

やはり、音楽は助けになるのだなと思ったのは、彼女が後藤さんの演奏を聞いていて、闘病から少し違う雰囲気の世界に行っているなと思えたことです。

病院を移ってからはその死の淵を彷徨ったことも忘れていたし、本当にこの人は一人で生きてきたからこんなに強いのかと思いました。

 

昨今の病院は症状が落ち着くと治療することはないとかで、出されてしまいますね。

叔母の面倒は難病なので本当に1人で生活できるようにならなければ帰宅されては後戻りですから、必死に転院先を探しました。

またその転院先は彼女もすごく気に入ってくれ、そこでも命に関係するかのような高熱を出しましたがうまく切り抜け、そこからも出ていかなくてはならなくて、最期までいられたのはちょっとお見舞いには遠い病院でした。

コロナ禍のこの1,2年は、お菓子の差し入れや、途中からLINEのテレビ電話で会話をして元気なのを見てこれましたが、少々食べる量が減ってきていないかなあと心配したことに、コロナのワクチン注射をして、翌日に吐いて熱を出した辺りから、急激ダウンして、つるべ落としのように体調悪化、上向くことなく85歳で亡くなりました。

 

正直寂しいです。

私の実家のことをよく知っている人がいなくなりました。

父や母のこと、祖母のことを話してくれる人がいなくなりました。

 

人が亡くなると山のような片付けが襲ってきます。

もう、大学生で祖母を見送り、叔母がその場にいなかったので私が清拭をしたのが私のはじめての人間の死でした。

そこから、両親、主人の両親のお葬式も経験して、今回6人目で初めて喪主をしました。

 

まだまだ落ち着きませんが、日々日常は止まってはくれません。

 

ひとつずつ、自分のペースで、納得のいくやり方でクリアできるようにと思います。

 

私の心の中にはいつも、あの元気な叔母がいてくれるような気がします。

何回も危機があり、お互いに今生の別れかもと「ありがとう」と言い合いましたが、本当に、こうなってから叔母に「いろいろとありがとう」と言いたいです。

 

書き下し、読みにくく、すみません。

ココロの中をここに書いて少しずつ整理していきたいと思います。

 

 

 

次女の塾勉のフォローに毎日忙しくしています。

 

その中で、今回某先生仰った言葉が印象に残っているので書いてみます。

 

長女は本当に私の読み聞かせからうまく自分の読書に繋げていってくれ、特に読書で困ることなく来ました。

次女は、なかなか自分から読むようにならず小学3年くらいまで昇進時読み聞かせをしておりましたが、いわゆる「読書」にはなかなか軌道に乗っていかなかった。

 

ある日某先生のお陰で、次女が「ハリーポッター」を読み始めたら病みつきになり、3か月で6巻くらいまで小4の夏に入り込んでいったのです。「どうして、皆本を読まないの、あんなに面白いのに!」

と次女が夏が終わったら変わっていましたびっくり

 

それが今、彼女は「湊かなえ」さんにハマり、私はどんな文体の方でどんな内容を書く方なのか「ママ、あれはヤバい、暗すぎる」という長女から聞くのみで、知らないのですけどねニヤニヤ

それに、読書をさせたい一心で、コロナ禍に図書館に行けなかったことからkindleを次女に買い与えたりして、次女はどんどんはまっていきました。

 

学習も国語の記述が親が何をしたでもありませんが書けるようになったり、私たち家族との会話も語彙が増え、彼女も会話に参加するようになってきて、喋ることが変わってきてびっくりしています。

 

それで、某先生から聞いた話。

ある女の子の話です。

とても本好きで、家でもトイレに本を持ち込んでなかなか出てこない、学校見学も廊下を歩きながら本を手放さず読んでいて、お母さんの話によると、出かける時間も本を読んでいてなかなか腰をあげないそうで、とにかく物凄い量を読んでいる女の子がいたそうです。

 

「論理的な思考ができる子だから、それでもあの勉強量では中受にあれじゃあこなす量が足りないと思っていたし、(希望した学校にはだから届かないだろうと思っていたところ)、せめて豊島岡くらいと思っていたのがJGに受かってしまった」という話。

 

さして、なんていうことはなく、普通にできるお子さんだったのだろうと思いますが、私の引っかかった言葉は最近佐藤ママさんの、

「量が質に転化する」

という言葉です。

これとリンクしてしまったのです

 

ですから、論理的な思考力を持っていたら、たくさんやらなくてもテストのときに集中して考えたらそれほど何周も問題集を回さなくてもいいのかもしれないなあと思ったのです。

 

そして、私の学生時代に話が飛びますが、ドイツ語をしゃべっていた時(ここにかけるくらい喋れるわけではありません、語学は大の苦手💦誤解のなきよう)

複文をしゃべれるようになるまでは、結構時間がかかった(もう喋れません滝汗)のですが、私はよく接続詞で「だから」「なぜなら」という理屈っぽい言葉ばかり使っていたような、まあ下手で短文しか作れないからなんでしょうけれど、ドイツ人に自分の考え方やらをわかってもらいたい一心で自然とこうなっていた記憶があるのです。

 

まあ、自分の恩師はドイツ人で、大学の校長先生だったので、町というか村というかその土地では名の通った人格者のような風格をもっておられ、喋る話は本当に順を追って整然と話されたし、記憶力は抜群、20年前の弟子の話も西暦付きで話す方でした。

だから、生き字引で、世界史と音楽史と我々がレッスンしていただく曲の作曲年をパラパラとおしゃべりになり、それがどういう関係にあるか等もあっという間に説明されていました。

そういう論理的な頭の持ち主は、量はいらないのかもしれないですね。

 

で、私ですが、数年前から頑張ってチョビチョビこれでも、公文のドイツ語を続けているわけですしょぼん

もう、毎年誕生日にメッセンジャーから届くドイツ人の友人からの「おめでとう」

メッセージに対する近況返信がどれだけストレスか!

 

最近はGoogle翻訳を使って通じてしまうので、重宝しています。照れ

ドイツ語で来る文章はわかっても、それと同等には返せないし、習っている公文のレベルでは、やはり太刀打ちできないのであきらめています。それに彼からくる言葉は、現在使用している生のドイツ語の返事なわけです。

 

「ああーこんな風に(こんな単語を使うのね)ドイツ人でしゃべるんだー」

 

と、なるほどと思ってしまうのです。

 

日本人だって江戸っ子の粋な言葉があるようにきっとドイツ人もその人の使う言葉の種類がありますよね。

外国語は日本語の能力に比例してくると思いますから、大事にんしつつ、ドイツ語の論理的な語順と文のまとめ方なども真似していきたいなあと僅かなことでも続けていこうと心を新たに致しました。

 

ああ、誤解なきよう、私がドイツ語はだめなことと次女が読書に夢中になったからと言って塾勉が好調なわけでもなんでもありませんので グラサン