#昭和と聞いて思い浮かぶのは?工夫して暮らしたこと | HANANOのハーブとアロマのある暮らし

昭和と聞いて思い浮かぶのは?

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昭和の子供

昨年の今日の

ブログから

 

小学3年生の頃、

父親の事業がうまく

いかず(のちに分った

ことだけど)

 

両親は、当時

一人っ子の私を

置いたまま、仕事

や金策に駆けずり

回っていたようで、

 

なんとなく子ども

心に察していた。

いつものように学校

から帰ると

(借金取り?)が

縁側に座っていて、

「お嬢ちゃん、

こわがらんでええで」

お父さんが帰って

きはるまで

ちょっと待たせて

もらうわな」

 

私は「はい」と

返事をして、

洗濯物を取り

入れたり、

庭を掃いたり

夕食の用意を

していた。

 

当たりが薄暗く

なるころ両親が

帰ってきた。

借金取りらしき

おじさんは、

「まだ小さいのに

段取りよく

よう動きはる、

ええ子やな」

そう言って私の

頭をなでて

 

父と一言二言、話す

と帰っていった。

 

昭和の時代、家族

とは言え

余計なことは言え

なかったが

子どもなりに両親

の力になろうと

必死だった。

 

後日談だが、父の

事業が継続できた

のは、あのおじさん

がお金を融通して

くれたからだそうで

 

「あんな働き者の

娘さんがいる家は

つぶれる分けがない」

 

と、言っていた

そうです。

 

私のパワーは、きっと

そのころの経験から

だと思います。

 

多かれ少なかれ戦後

間もない一般的な

人はみんな苦労を

していたと思う。

 

さて、あれから

60年以上も

経って思うことは

 

「親を見て子どもは

育つ」

「子どもに気を

使って暮らす必要

はない」

ということです。

 

子育て時代に金銭

の余裕がなければ

無理に玩具を

買い与える必要は

ありません。

子どもは工夫して

遊びます。

 

私の子育て時代は

 

新聞紙を丸めて

ボールやバットに

したり

 

子どもの描いた絵

を切り、ジグソー

のようにしたり

 

おやつは蒸しパン

や残りご飯の

せんべいなどを

子どもたちで

作って食べてもらい

ました。

 

夫はサラリーマン

だったのでお金に

苦労していた分け

ではありませんが、

 

私の素地が

工夫して暮らす

体質だったから

だと思います。

 

 

さて、連休に

孫っちたちが

やって来ます。

 

余ったご飯を

ビニール袋に

入れ、お醤油を

少し入れて

モミモミして

フライパンで

焼いてもらおう

と思います。

寒天でデザート

も作ってもらおう

と思います。

 

私が元気なうちに

昭和の子どもの

生きるすべを

伝えていきたいと

思います。

 

「生きるすべを

身につければ

それは一生の財産

になるから」

 

子どもの日の

プレゼント。

(ケチくさい?)