昔のなら町は今よりもっと賑やかで
お座敷もたびたびかかっていて、
下働きの浜子さんのお母さんまで
が、かり出されることがあったようです。
もともと芸妓上がりのお母さんは、
鳴りものや日本舞踊も得意で、
『深川くずし』や『青海波』の舞い
っぷりは素晴らしく、関西の芸者が
持っていないものを持っており、あっと
いう間に売れっ子になりました。
当時は、線香代と言って、一本の線香が
燃え尽きる時間を基準に料金を決めていた
そうですが、『つけっぱなし』といって、
時間無制限で楽しんでくださるお客さんが
ついて、置屋はずいぶん潤ったといいます。
ところが下働きの時は何かと優しかった
お姐さん方も次第に意地悪ををするように
なります。
同じ置屋の姉妹芸者とは言え、食うか食われ
るかの世界。
お座敷前に扇子や日本手ぬぐい、足袋のかえ
などを入れた花篭を隠されたり、黒塗りの
下駄が表のごみ箱に捨てられていたりは、
日常茶飯事のことで、極めつけは着物の裾に
犬の糞らしきものが付けてあったことでした。
つづく