【Day73 2025.11.15 Olveiroa→ムシア 31km】
昨日、私がアルベルゲに着くとすでに若い欧米系の男性がいた。
レストラン兼バーが併設されたアルベルゲでは、15:40までランチのメニューが頼めるという。
すでに時間ギリギリだったが、すぐに来るなら大丈夫だよ、と言ってもらったので、シャワーも洗濯も後回しにして、バックパックを置くとレストランに向かった。
本当は運んでいる食料で自炊する予定だったが、とにかくお腹が空いていて、まだ間に合うと言ってもらえたのは渡りに船だと思えた。
食事は美味しいスープから始まり大満足だった。
豆とベーコン、チョリソー、豚肉などが入ったこのスープは、サラマンカでサイモンが作ってくれたのと同じものだ。
あの時は、スペインの代表料理なのに食べたことないの?と驚かれたが、こうやって出てくるのか。
お腹いっぱいで支払いをしていると、前日隣のベットだったおじさんがやってきた。
おじさんも私も、コイツとまた一緒かー、という表情である。
二段ベット3組の下はすでに埋まっていた。
“上を選ぶしかないね”と残念そうにボソリと言われて、だから早く出発してるんですよ、と言いたくなった。
他にも二人の巡礼者がいたが、あまり言葉は交わさない。
名前も国も聞かなかった。
もう、出会いの時期は終わったのだ。
お互い、それがわかっているようだった。
あまりにお腹が満たされて、まだ夕方だというのに寝落ちしてしまった。
部屋も暖かく気持ちのよいアルベルゲで、私はとにかくよく寝た。
疲れていたし、寝不足だった。
そんな日があってもいいだろう。
おかげで朝は5時ごろに起きてしまった。
キッチン兼ダイニングに向かい、昨日持ち帰った豆のスープとパンで朝ごはんにした。
朝から身体が温まる。
なるべく音を立てないようにベットルームから荷物を持ち出し、支度を始めた。
今日は31kmの歩き。
ムシアに着いたら、海をゆっくり見たい。
なるべく早く出るのが良いだろう。
最後に自動販売機のカップコーヒーで一息つくと、6:30に宿を出た。
外は暗く、また雨である。
一体何だってこんなことをしているんだろうと、毎日思う。
途中、小さな川では橋の上まで水が溢れてしまっているところさえあった。
そういえば、昨日のレストランのTVのニュースで、洪水が話題になっていた。
8時半ごろ、やっと明るくなってきた。
それでも、太陽は雲に覆われて視界は良くない。
誰もがこの長雨を嫌う。
なんだかかわいそうだな。
ふと思った。
私くらい、この雨を好きになろうか。
あなたが悪いわけじゃない。
降っても良いんだよ。
空に向かってそう呟くと、雨は小さくなってやがて止んだ。
ツンデレにも程がある。
歩きながら10年前、この道を通ったことを思い出していた。
あの時、私はカミーノが終わってしまったことが寂しすぎて、号泣しながら歩いた。
これ以上、何をしてもカミーノを超えることなんかできない。
もう、楽しいことなんか一つもない。
全てを失ってしまった。
何で歩いてしまったんだろう。
なんでこんな素晴らしい経験をしてしまったんだろう。
終わってしまって、これからどうやって生きていけばいいんだろう。
そう思った。
実際、日本に帰って日常に戻るまで、かなりの時間を要した。
しかし今、私は満ち足りた気持ちでいた。
まだもう少し歩くからか、サイモンに会うというミッションが残っているからか、あるいは歩きの後、やりたいことリストがあるからか、オスピタレラになりたいという小さな夢ができたからか、不思議と終わってしまうことを寂しいとは感じていなかった。
それは、この日記のおかげもあるかもしれない。
日々、感情を吐き出したことで、溜め込み過ぎて処理不能になることを回避することができたのかもしれない。
私は、この旅でたくさんのものをもらった。
物理的な物もそうだし、食料もそうだし、思いや、笑顔や、優しさや、ちょっとした挨拶や、さりげない言葉や。
人だけじゃなくて自然や生き物からもたくさん、たくさん、受け取った。
それはもう、両手で抱えきれないくらいの量だ。
帰ったらそれを循環させること。
以前、私自身がポーラに言ったように。
抱えきれないほどのバトンを渡されてしまったのだ。
私は誰かにそれを渡す役目がある。
そしていつか、全てのバトンを渡して尽くして、すっからかんになってしまったら、また歩くのかもしれない。
そんな風に思った。
全て失ってしまったと思った10年前の思いを、私は今、ここで拾い集めながら歩いているのかもしれない。
ムシアの町は以前も来たはずなのに、想像以上に美しかった。
チェックインを済ませて海岸沿いの教会に出かける。
空は美しい晴れ間を見せてくれた。
雲とのコントラストがなんともいえない。
強い風を伴う大西洋の波は激しく、厳しさを感じる。
それでも空の美しさがそれを凌駕し、いつまでもここに居たくなった。
教会の内部は海や船をモチーフにした装飾品であしらわれていた。
私は1€払ってキャンドルに火をつけた。
小さな灯りだった。
思い立ってその写真を撮り、for youとコメントをつけてサイモンに送った。
彼からはすぐに、
“僕にとっては、もっと大きくないと。
これでは小さすぎる”
と返ってきた。
彼の問題は、言葉や祈りでは解決しない。
ましてや歩いたところで。
その返信は、暗にそれを示していた。
それでも私にできることはそれしかない。
あんなに大変な思いをして歩いている人を、どうか救ってあげてください。
そう祈った。
もう会うことはないのかもしれないな。
その時初めて、私はそれを受け止めた。