長くなったので二話に別れています。
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【Day70 2025.11.12サンティアゴ滞在】
午前中、雨の中、私たちは全ての服を袋に詰めてコインランドリーに向かった。
行きすがらコーヒーとパンをテイクアウトして、大型の洗濯機を回す。
カーリーンはタバコタイム。
私は携帯をチェックしながら冷めたカフェ・コン・レチェとシナモンブレッドをほうばった。
雨は一向に止む様子がない。
乾燥機も終わると持ってきた網の布袋に畳んだ洗濯物を詰めこんだ。
ドミトリーのアルベルゲではビニール袋の音が響く。
それを避けるために衣類は軽くて薄い網の布ぶくろに入れていた。
しかしこの雨ではせっかく洗った洗濯物も帰るまでにまた濡れてしまう。
抱えて帰るしかないかな、そう思っていると洗濯を待っていたスペインのおばさんが、おもむろにビニール袋を出して、勝手に私の布袋をその中に入れて私に渡した。
濡れないように、これで帰りなさいということだ。
スペインの人の、こういうあっけにとられるような優しさが、たまらなく好きだ。
洗濯を終えると私たちは身支度を整えてカテドラルに向かった。
私はスタンプが欲しかったし、カーリーンはお土産にクレデンシャル(巡礼手帳)を買いたいという。
カテドラル周辺の旧市街は道が入り組んでいて、まるで迷路のようだった。
私たちは何度も同じ道を行ったり来たりしながら、やっと巡礼者のインフォメーションセンターに到着した。
カミーノでは100km以上歩くと証明書がもらえる。
そこがその受付だった。
しかし私たちはその証明書に何の意味もないことを知っていた。
自分の中に歩いたという記憶があれば十分なのだ。
受付の誰もが“証明書?”と聞くが、それは不要でスタンプが欲しいとお願いする。
カーリーンは巡礼手帳だけ買いたいという。
厄介な巡礼者で申し訳ない。
私の巡礼手帳ももうあと何日分も残っていなかった。
新しいのを買いたいと思っていると、受付のお姉さんが下の階でフィニステーラ向けの特別な巡礼手帳が売っていると教えてくれた。
買い物をしているカーリーンに断りを入れてから行こうと彼女を待つ。
買い物が終わったカーリーンは私にところに来ると、”これからも歩いてね”と、彼女が大量に購入した巡礼手帳の一つを私に渡した。
本当に、この人には敵わない。
カテドラルに戻るとカーリーンが連絡したのかジョンが待っていてくれた。
私たちは三人で近くのバルに入った。
両脇にはカミーノを終えて自慢げに証明書を広げる巡礼者や、バックパックを傍において食事をしながら大袈裟に乾杯する団体の巡礼者がいた。
そんな彼らを少し冷めた目で見ながら私たちは一杯のコーヒーで何時間も話し続けた。
55歳のジョンは仕事をリタイアして、3月にオスピタレロになる講習を受けるのだそうだ。
前職はシステムコンサルタントだったという彼は、その頭のキレやカラッとした性格から相当仕事ができたのであろうと推測できた。
そんな彼が早期退職してオスピタレロを目指すという。
オスピタレロになったら、どのアルベルゲか必ず教えてね!絶対に行くから!
そういうと、
ブランケットは一人一枚しかダメなアルベルゲだよ。
と笑わせてくれる。
オスピタレロかあ。
それはこの旅で私も浮かんできた新たな夢だった。
アルフセンでの経験が私に影響を及ぼしていた。
あんなふうに巡礼者を受け入れ、話を聞き、送り出す日々をしたい。
それはタバラでオスピタレロの助手をするイタリアのおじさんに会ったあたりから、クリアになり始めた新たな思いだった。
まだ言語化するのは早いと思っていたが、ジョンの発言に心が動かずにはいられない。
そしてこのバルで、私はジョンにブレスを渡すことができた。
タバラの次の日の宿のあの教会で買ったんだけど...
そういうとカーリーンも腕に着けていたブレスをあの教会で買ったのだという。
なんだかジョンよりも、カーリーンの方が喜んでいるように見えた。
散々話し尽くした私たちは雨の中、タバコを吸うカーリーンに付き合ってテラスでまた話をして、やっと最後のお別れをした。
“Buen Camino, Japanese Warrior”
ジョンはまた上から抱えるようにハグをしてくれて、私たちは別れた。
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つづく