先日、古い古い知人と会った。
なんと14年ぶり。
心理学の講座の同期で、特別親しかった訳でもなく、プライベートで会ったこともなかった。
ただSNSで繋がっていて、彼女は長いこと私の気まぐれな近況報告に反応してくれていた。
それで満を辞して「会いましょう!」ということになったのだった。
彼女は私の旅の冒険談を心底を面白がってくれて、「どこかで発表する場が持てないかしら?」「未来を担う子どもに伝えてほしい」「〇〇さんと会ったらどうだろう?」などと言ってくれた。
もしかしたらこの再会が今後につながるかも???などと淡い期待を持った私は「どこかでそういう場があればいくらでもやるんですけど」と振ってみた。
すると彼女はしばらく考えて「決めることね」と言った。
「私ね、世の中ってなんだってできる、何にだってなれると思っているのよ。
自分が決める事さえすえすればね。
でも、自分で“これでいく”“これをやる”って決めない限りダメ。
誰かが何かしてくれるなんて思ってるようじゃダメなのよね。」
まるで心の中を見透かされたようだった。
そしてわかった。
誰も本気じゃない人のためになんか、動かない。
動くとしたら、自分にとってもメリットがある時だけだ。
なのに私は、誰かが道を開いてくれないかなって、ぼんやりと思い描いていた。
リスクを取ろうともせず。
そんな本気じゃない人に、誰も協力なんてしない。
逆に言えば、リスクを追ってでもやると覚悟を決めた人にしか、本当の協力は得られないだろう。
数日前に会った友人も、同じような状況だった。
仕事に感し、このままの状況で満足するか、延長線場のキャリアアップを図るか、あるいは分野は近いが新たなキャリアを築くかで悩んでいた。
本当は新たなキャリアにチャレンジしたい。
でも怖いし不安。
”この道で行く“という覚悟を決めきれないまま、なんとなくそっちの道が切り開かれていかないかを期待していた。
でも、順番が違うんだよね。
リスクを抱えてでもそちらの道に進む、と決めること。
それから行動すること。
もちろん、その先の保障など何もない。
それをリスクと呼ぶ。
それでもその道に進むと決めた人のだけ、進むべき道の扉が開かれるのだろう。
今、多くの人が、同じような悩みを抱えているのではないかと思ったので。
自分の人生、自分で舵を持つことが問われている時代である。