わかるということは、脳みそに情報を入れることではなく細胞が理解すること | ちびタンクのひとりごと

ちびタンクのひとりごと

大好きな旅のこと、心理学・スピリチュアル・ヨーガのこと、日々の気づきなどをつぶやいています♪

今更だけど、脳みそに情報を入れることと、実際に経験して細胞が感じることは違う。


例えば辞書で「りんご」のことを知ってわかった気になっても、食べてみなければ食感、香り、味はわからない。育てて収穫してみれば、さらにりんごに対して別の感情が生まれるだろう。


テレビやインターネットで何かを知ったような気になる。

でも経験するということは、テレビやスマホの画面の外の、上下左右360度その状況に置かれているということだ。

そこには色や、匂いや、香りや、空気や、もっともっと微細な情報が膨大に含まれてる。

良いところだけカットしたり早回ししたり、つまらなければ電源をオフにするといったことはできない。経験しているときに時間をコントロールすることはできないのだ。


その時の情報量は、脳みそだけを使っていた時をはるかに超える。


経験するということには、不快なこと、ネガティブなこと、無駄なことも含まれる。


しかしその時、細胞は感じ、喜んでいる。

なぜなら、私たちはこの物理世界を味わうために産まれてきたからだ。


りんごの情報を知るためにじゃなくて、りんごを実際に見て、嗅いで、触って、食べるために産まれてきた。

なんなら腐ったりんごを食べて、“あー、これは食べちゃいけないんだ”って知るために産まれてきた。


死んだら魂になるかもしれない。

魂は、“りんごは美味しい”って知っていても、もう肉体、細胞で味わうことはできない。


だから、全ての感覚を味わおう。

味あわなきゃもったいない!