ありかた | ちびタンクのひとりごと

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大好きな旅のこと、心理学・スピリチュアル・ヨーガのこと、日々の気づきなどをつぶやいています♪

今日は秋分の日ですね。

2020年12月22日に風の時代に入り、今日から冬至に向かって、また大きく二極化が進むと言われている中、私も、たった2か月で大きく考えさせられることがありました。

始まりは7月末。
友人がソウルリーディングのモニターを探していて、体験させてもらったこと。

面白半分に受けたのですが、そのときのソウルからのメッセージ?私のソウルのありよう?があまりにも気持ちよくて。

「あー、そうありたい」

と思ってしまった。


でも、その時はまだ、
「いつかそうなりたい。でも今じゃない」
だったんだよね。


それが別の友人と旅行に行ったことをきっかけに、


「すぐにそうであってもいいんじゃない?」

「“今、そんな生き方はできない”
とか
“まだ早い”
とか
ブロックかけているのは自分じゃない?」

と、

「ねばならない」を科せていたのは自分自身だと気づいてしまったんです。


でも、だからといって、何を始めればよいのか、どうすれば良いのかはわからない。


発見のワクワクから、どうすりゃいいんだ〜!?何をすればいいんだ〜!?のもやもやモードに突入。


そこで前の記事でも書いた私のメンターにセッションしてもらいました。


「今、扉を開けて一歩踏み出したところなんだね。
どうやって稼げばよいか、じゃなく、まずはどうありたいか、それをしっかり描くこと。
その前に何かやっても、結局同じことだよ。

“どうありたいか”がはっきりしたしずちゃんは、もしかしたら今考えていることとは全く違うことをしているかもしれない。

だから、まずは自分と向き合って、どうありたいかを明確にしてあげてね。

そして、それを妨げるブロックを一つ一つ外していこうね。」

と話してくれました。


「ありかた」

それは、長く通っていたコーチング勉強会のテーマでもありました。


どんな自分でありたいかを突き詰めようとすると、これがなかなか難しい。

考えれば考えるほど、どれもなんか嘘っぽくて。


旅をする自分

歩く自分

仕事をする自分

食べて飲む自分

友だちとおしゃべりする自分

ぐーたらする自分


自分の気持ちよさの中には、
歩き旅をしてすごいって言われたり、
仕事で評価されたりすることもある。

でも他人に評価されることにうんざりしている自分もいる。

そもそも、本当に旅したいんだろうか?
仕事で成功したいんだろうか?

本当はぐーたら生きていきたい。
それで生活ができるなら、そうしたいのでは?

なんて考えると、もう頭がぐるぐるぐるぐる🌀🌀🌀


でも、ひとつだけ、はっきりと嘘がなく、

心地よかった「ありかた」があったことを思い出しました。


2015年6月。
スペインのカミーノ・デ・サンティアゴを歩いた日々の中で、どうしようもなく疲れて、“限界を超えた“と感じた日の夜。

アルベルゲのダイニングでダラダラとみんなで過ごした時間。

英語の会話に入れない私はいつもコンプレックスを感じていたけど、その時はもう、あまりの疲れにそんなものも吹き飛んでいて。

相変わらず会話には入れないのだけど、だけどみんなから排除されているような感覚もなくて。

ときどき、「っな、コリーン」みたいな感じで受け入れられて。

自然と作り上げられた場に自分がただ居て、それが受け入れられていることが、心底心地よかった。



2017年5月。
インド北部で標高4000メートルを超えるヒマラヤの麓。
ガンジス川の源流を目指すも吹雪で近くのアーシュラムで足止め。

やることもなくダラダラとしていると、アーシュラムのスタッフのインド人に誘われ、隣のアーシュラムへ。

土間みたいなとこで焚き火を焚いて、みんなで焚き火を囲みながら、巻きタバコを回し飲み。

何を話しているかなさっぱりわからないけど、なぜか私も輪に入っていて。
特別扱いされるでもなく、ただいるだけ。

外の吹雪をぼーっと眺めながら、タバコの煙が緩くたちのぼっていく光景。
それがなんとも言えず、美しく、心地よくて、最高の贅沢に感じた。



2019年12月。
不思議な流れで急遽行くことになったイギリス、カンタベリー 。
目的を果たしたのちにたどり着いたドーヴァーで、ふらりと入ったバー。

タバコとビールのちょっとすえたにおいがなんとも懐かしいような、愛おしいようなバー。
そこには人々の日常があって、みんなが楽しそうに笑ったり、語ったり、飲んだくれたりしていて。
誰と話すでもなく、私はただそこにいて、そんな人々を見ていただけだけど、なぜかそれがとても、穏やかに心地よかった。


ああ、そんなふうにありたいなと思う。
何かを成し遂げたいとか、
誰かに評価されたいとか、
誰かに感謝されたいとかじゃなく、

自分がいてもいなくてもよくて、
だけど、自分も受け入れられていて、
そして自分も含めて人々の営みを愛おしく感じること。

それが自分にとってのpeacefulな時間。
調和の取れた時間。

愛すべき時間だと感じた。

そんな時を増やしていきたい。

今、わかったことはそれだけ。

でも、それを大切にしていきたい、忘れたくないから、備忘を兼ねて久しぶりのブログ更新!



皆さんはどんな「ありかた」をしていきたいですか?

皆さんにとっても、素敵な秋分の日となりますように💕