メキシコシティー最終日。
それはメキシコ最終日であり、4ヶ月に渡る旅の最終日でもあった。
アメリカからメキシコの都市カンクンに入ったのは、キューバに行くためだった。
アメリカとの国交正常化を最近果たしたばかりのキューバは、今が一番面白いと言われていた。
30年間、時が止まったと言われる土地だが、アメリカ資本が介入すれば、時代が追いつくのはあっという間だ。
今しか見れない世界がある、そう言われていた。
そのキューバ、それから大好きなワインの産地チリ、アルゼンチンと周る予定を取りやめ、帰国を決めたのには、旅の目的が見出せなくなったからだった。
カミーノを終えて以降、燃え尽き症候群となった私は、アメリカで感じた孤独を払拭すべく、メキシコでは日本人宿に宿泊した。
文字通り日本人主体の宿は、安くてクオリティが高く、情報も入手出来る。
何より日本語が通じるので楽だし、出会いも豊富だ。
入れ替わり立ち代り出会う日本人の旅人と過ごす日々は、楽しかったし、刺激的だった。
だが一方で、そこでの日々は私の心を複雑にもした。
世界中の人の髪を切ることを目的に、旅を続ける美容師、
土地に魅せられ、その土地の映像を発信するカメラマン、
世界で100回の結婚式をしようと、ウェディングドレスと共に旅するかわいい夫妻。
一方、私はただ楽しいだけの時間とお金を食いつぶす日々。
目を輝かせながら、旅の目的を話す彼らが羨ましかった。
私はますます、虚無感と、罪悪感と、敗北感を募らせていった。
1人になれば孤独を感じ、誰かといれば自分を責める。
新しい土地にも、何を見ても興奮できなくなってしまった今、目的もなく旅をしているのが苦しかった。
それは、あるの意味ではもう十分という事であり、ある意味ではまだスタートラインにすら立っていないと言うこと。
この旅はもう、十分なんだ。
帰ろう。
そう思った。
-つづく-