昨日の記事の続きで、父や妹、ミニマリストさんたちのこと、もう少し書きたくなりブログ開いてます。

ミニマリストといっても、二人は全然タイプが違う。

父のものって、必要な衣服と、数冊の本(囲碁将棋の本。ぼろっぼろになっても、毎日毎日読んでました。くまなく暗記してた様)と、麻雀、囲碁将棋盤ぐらい。かといって、物が多いのを嫌ってるとかでもなく、自分のスタイルを他におしつけることもなく。(←単純に、他への興味が薄いところもあるのかも。学生だった頃、わたしが初海外旅行にいくという日の朝、そういえばどこに誰といくんだ?と聞かれた、、、)

 

 

家自体は古民家あるあるで、広いからあまりきにならないけど、物は古くからのものも結構ありました。そんなある日、断捨離系のおそらく元祖本「ガラクタ捨てれば自分がみえる」を、(もう20年近く前)帰省した時に、置き土産していったんです。


それを読んだ父が、自分のこと以外は無頓着だったのに、ぐいぐいと、家のものを処分したんです。それにも驚いたけれど、父の雰囲気がガラリ!とかわり、今ではライフワークになってる畑をはじめたりと、父の激変ぶりから、断捨離効果すごい。。。をみさせてもらった出来事でした。



先日、久しぶりに古民家にいってみたら、雰囲気がどことなく違っていて、軽くなった感じがしたので、聞いてみたら、お蔵の中をいろいろと処分したらしく。古いものだと明治のものやらが結構あったのですが、物がなくなると、みえてなくても、こんなに変化が感じられるんだ。をまたまた実感。(とはいえ、古民家の断捨離はまだまだ、気合がいるところあるあるですが)

 

 

このお蔵一掃の件は、骨董転売屋さんみたいなあやしげな人が、何度か父のところに通っていて、ほぼ値段ない感じでトラックに積んでいったようで。
これを知ったときは、若干もやっとして自己調整しました。
そもそも、わたしのものでもなければ、父がそれですっきりしてるなら、めでたし落着。わたしたちにとったら必要なものでも価値があるものでもなく。モノの価値って相対的で、変動的なところがある。なにより、家も軽くなって、父がてきぱき動いて、すっきりとした様子が良かったなぁと。

 

 

そして、あるものを使いこなす。もすごいんです。前回帰省した時は、今はジャガイモが沢山あるからと、お米は購入せず、主食はじゃがいもになってました。(お米がないなんて!と驚いたけど、ま、ドイツに来たと思えばいいのかな?とじゃがいも生活楽しんんできました)

 


毎食、ゆでたじゃがいもと、ゆでた野菜たちと、ニラ玉を食べる。以上!の生活(ニラも毎日とれるので、時々購入するのは卵だけ)

行くたびに、かなりシンプルな食事に、カラダがプチ浄化されるような体験をしてます。

 

 

父はある日突然スイッチが入って、断捨離ブルトーザータイプ。といったところでしょうか。基本、自分のものは何も増えないので、減っていく一方です。

 

 

妹は、ほんとにコツコツコツコツ。妹の家にもほぼ物がないけれど、それでも、コツコツ、減らせるところを減らし続け、シンプル化している。
とはいえ、ぎすぎすとか、不便になってるわけでもなく。

 

 

父が今住んでいる家もスッキリしてるけど、今でも、季節毎に母が変えてたお飾りコーナー、今は、妹が季節ごとに変えてくれているし、そういうものは残しながら、少しずつ、少しずつ、器とか服とかを妹が行くたびに整理していて。ブルトーザーではなく、数年かけて、あは!体験ぐらいを目指してるよ。無理したり頑張れないからね。と。
(二人のミニマリストっぷりとは遠いけど、それでも、母の物もそう多くはないのかな。書類もすごく整理されていて、母が亡くなった時にわからないことや困ることがまったくなくて驚きました)

母が亡くなった時に、整理が好きだし、ゆっくり数年かけてのんびりペースで整理したいからまかせてねと妹がいってくれて。今月は、引き出し一つ分。とか、ほんとにみえないところとか、なかなか気が付かないところを、ゆっくりと断捨離しつつ、母の服も、自分の部屋着にしたりしながら、ゆっくりゆっくり時間をかけて処分していて。そんな彼女のペースに、わたしは毎回すごく癒されています。

 

 

母は、おもしろいものをみつけてくる天才だったので、帰省するたびに、かわったもの(でも生活おもしろくなるよね!なおちゃめなもの)が、必ずなにか一つ仲間入りしてたんですが、わたしは、どちらかというと、母よりで。

 

 

変なものを見つけたときは、いつも、意気揚々と、帰省するときにもっていって、妹と楽しんで、クスリ笑える時間を一緒してもらってます。そいうところは、わたしは、これからも持っていそうだから、やっぱり二人のようなミニマリストになる日はこないだろうけど。

 

 

それぞれのあり方が、どれも愛しく、わたしは、それにすごく救われて癒されてること間違いなし✨なのでした。

 

今日は、目標達成思考とか、何かを達成しなければ自分の価値がない。というところ、随分となくなったように思ってたけれど、こんなところにでてたのか~を発見して自己調整をしました。

 

 

会社員時代、毎週毎週、自分の一週間の実験結果を報告する、チームミーティングがあって、実験結果や考察を報告したり議論するのですが、とにかく有意義な進捗や方針、アイディアをだしたりしないと自分は価値がない!、ここにいることを許されない!とすごくすごく思ってて。特に、怖い上司のチームだった頃は、自分は人として価値がない!くらいの気持ちに何度かなったことあったんだなぁと、深いところから湧いてきてびっくり。このストレスまだあったのか!でした。

 

 

調整後は自分のこと、やさしくやさしく抱きしめてあげられた感覚。自己価値が、なにかができることに左右されないってこと。これからも深めていきたい。今夜、眠る前もふんわりふんわりしそうです。

 

 

そんな調整の後だったからなのか、午後からTverでみた番組「ザ・ノンフィクション ボクと父ちゃんの記憶」4本を立て続けにみて、何時間も泣きっぱなしでした。
50歳で若年性アルツハイマーと診断された(それから15年経った)お父さんと家族の記録。2021年~2023年と、毎年番組はあったようで、秋には2024年版もみられるのだとか。

 

 

今ならみられるのでリンク貼っておきます。

 

 

 

 

 

 

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