今年の大河ドラマ「光る君へ」の人気はどんなものだろう?
定番の戦国武将・天下取り物語には飽き飽きしている。
幕末の動乱のあらすじもほとんど知っている。
目新しいところでは、維新の経済界・渋沢栄一の「晴天を衝け」だっただろうか。
今年の「光る君へ」はずいぶん趣が違った。
世の男性たちには不評な女性中心の世界で、
うちの主人もむずむずしながら我慢して観ているようだ。
ましてや、千年も前の大まかな記録しか残っていない平安貴族の日常だ。
わずかに残る藤原一族の官職と家系図、そして、古今和歌集などから、
ほとんどが想像で肉付けされているに違いないと思われる。
百人一首さえよく知らない私にとって、分かりにくい世界である。
おまけに藤原の姓ばかりで、下の名前の漢字をどう読めばいいのか分からずに、
人間関係で混乱している・・・。
ほとんどの人がそんな思いを持ちながら、観ているのではないだろうか?
ところが、回を重ねるうちに、あらすじを追うよりも、
ある雰囲気を伝えられていることに気付いた。
月を眺めて思いを馳せる姿。
夜の暗闇に空(くう)を見つめてぼーっと物思いにふけっている様子。
小川のせせらぎ、風が揺らす葉音、山や木々の様子、自然の些細な音が耳に入ってくるようだ。
人口が少なかったであろう人々の姿を、観察・洞察する様子。
そこには自らの口で雄弁に語る言葉はほとんどない。
胸の内をナレーターの誘導で語ってくれて初めて分かる心の動き。
現代に生きる私たちの有り様と何と違うことか!
本来の人間ってこういうものだったのかもしれないと、改めて感じ入っている。
現代の私たちは、なんと多くの音に囲まれて過ごしていることか!
その音は雑音だけでなく、テレビなどから意味ある言葉をシャワーのように浴びて、
しかも、それに対抗しようとして、あるいは越えようとして、
頭に浮かぶ思いや考えを必死に声に出して表現している。
それが社会生活を生き抜く必要不可欠な手段であるかのように。
また、時折ぼーっとしていい時間なのに、
ちょっとのすき間を惜しむかのように、スマホの情報を見たり、ゲームをしたり・・・。
私も完全にそんな生活を過ごしている。
最近、日曜の夜に「光る君へ」を観る度に、自分の精神生活の貧しさを感じてしまう。
黙って、ぼーっとして、物思いにふけって、自分の心の内を探り、心の言葉を聞いてみようか。
若い頃、スマホやネットはなかった。
テレビは家に一台しかなくて、観る時間は少なかった。
音や情報は極端に少なかった。
自然たっぷりの田舎生活で大自然の様子を無言で感じ、感動して、理科を専攻した。
さらに高校や大学時代は盛んに胸の内をノートに書きなぐった。
論理的な思考も、矢印を使ってキーワードを流すように書いた。
そんなことが今の時代に再現できるだろうか?
かなり難しいように思えるが、
物思いにふけったり、ぼーっとする時間を増やしたりしてみようかな。
そんな場面の心の中は「無」ではなく、
あふれるような「言葉」がまだ流れていることをうすうす感じているから。
そんなことを最近気付かせてくれた「光る君へ」の世界、心して精いっぱい観てみようと思う。