ビワの木 | しずえばあちゃんの回想録 “We Can Do It !”

しずえばあちゃんの回想録 “We Can Do It !”

教師生活35年、子供3人。
パワフルに生き抜くしずえばあちゃんの
子育て論、教育論、人生論を綴っていきます。

人生の後半で取り組んだ漢字学習についても
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今日は七夕だ。お天気はどうだろう?
関東は昨日梅雨が明けた。異例の早さだ。
今朝は真っ青な空が広がっているが、午後は曇り出すという。天の川は見えるかな?
でも、いつもならこの時期は梅雨の真っ最中で、
天の川も見えないし、竹に短冊をつるしても気分が出ない。
元々七夕の行事は、旧暦で行われていたものだから、
だいたい1ヶ月遅れですれば、季節感も出てくる。
明治維新で太陽暦(グレゴリオ暦)を強引に採用したから、
権力に近い都市部では7月7日になり、地方では依然として8月7日に行っているとのこと。
福井の田舎の七夕も8月7日だった。なつかしいなあ。
それは8月7日に書こう。

梅雨の真っ最中、6月はビワの黄色い実が所々にたわわに実っていて、おいしそうだった。
我が家の庭は車2台の駐車のために全部コンクリートでつぶされている。
それでも、小さな一角にビワの木だけが堂々と立っている。
我が家の植物はこれ一本だけである。
庭を直すときによっぽど切ってしまおうかと悩んだが、それができない事情があるのだ。

娘が5歳の時、保育園帰りのポケットの中がぱんぱんに膨らんでいた。
給食にビワが出て、そのおいしさと、でっかい種に驚き、
これは家に持って帰って植えよう!と思ったらしい。
帰宅するなり、大事に持って帰ってきたビワの種を前に、
その経緯をたどたどしく、だけど一生懸命に話し出す。
そこまで熱心に語られたら、植えないわけにはいかない。
ほんの少しあった庭の土に埋めた。
私の考えでは、たぶん育たないだろう・・・と思っていたのだが、
その後の娘のかいがいしい世話が功を奏したのか、
芽が出て、伸びてきて、植え替えが必要なほどになった。
娘の喜びようといったらなかった。

「桃栗三年柿八年」と言うが、ビワは何年経ったら実を付けるんだろう?
小学校に上がり、中学校になっても実は付けなかったが、
だんだんビワの幹が太くなり、上へ上へと枝を伸ばす。
2階の洗濯物干し場のところに届きだした。隣の家にも伸びてじゃまになる。
こんなに上に伸びたら、実が採れない・・・と、それなりに枝を切って手入れをしていた。

昔、実家の庭にもビワの大木があった。
実はいっぱい付けるのだが、大きくなりすぎて、広がりすぎて、採れない。
しかも、小さい実だった。
横浜に出てきてスーパーに売られているビワの大きさにびっくりした。
それでも、この梅雨の時期の楽しみなおやつだった。

娘が高校生になった頃だろうか、やっと実がなった!
見事な大きな実だった。濃い黄色に熟すまでと眺めていたら、
いつの間にか鳥に一部がつつかれて、あわててもいだ。
娘に食べさせながら、思い出話に花が咲く6月だった。

それでも、その他の月はビワのすごい生命力に手こずった。
実が終わり、夏になると、枝がどんどん上に伸びる。
それを切ろうと脚立を買ったり、枝切りばさみやのこぎりなど、かなりの出費もした。
ところが、どれくらい枝を切っていいのかわからないのだ。
ビワの花は11月に咲く。
晩秋になって来年の梅雨の時期の実のなり方が想像できる。
その花を付ける11月に向けて、夏にどれくらい枝を切っていいのか悩む。

ある時、隣の家に庭木業者が来ていたので、
専門家ならよくわかるだろうと思い、剪定を頼んだ。
ついでに二階の物干し場の邪魔さ加減や隣の家に伸びる枝の苦労も話したら、
いとも簡単にばっさりとちんちくりちんに切ってくれた。
えーっ、これで11月に花が咲くのだろうか?不安だった。
ビワの木は生命の危機感を感じたのか、11月に花を付けてくれた。
よかった!
これなら毎回苦労して枝を切る必要もないし、楽だなあと思って、毎年頼んでいた。
8月になると、すっきりしたビワの木になり、11月にはがんばって花を咲かせ、
翌年の6月に少しだけ大粒の実の収穫。
いいサイクルだった。

しかし、ビワの木は毎回の生命力の必死の抵抗に疲れたのか、
3年前からピタッと実を付けなくなった。
時を同じくして、東日本大震災があった年の夏、放射能騒ぎが起きていた。
夏に幹の樹皮がぼろぼろに禿げて、驚くような有様だった。
これは放射能の影響か?写真を撮ってサカタのタネに相談に行った。
栄養不足でしょう・・・と言われた。
ビワは自然に育ち、実を付けるという田舎の感覚から、
都会の庭のコンクリートのすき間に植えられたビワに、
どうして追肥をしていいのか知識もないまま、そのままにして過ぎている。

結局、大震災の年から我が家のビワの木は実を付けなくなった。
まさか、生命の危機を敏感に感じているとも思われないのだが、
手入れの悪さを、大震災のせいにしてしまうか、娘が嫁いで戸籍から抜けたせいにするか。
いずれにしても、実を付けなくなったビワを眺めながら、
幼い娘の笑顔と高揚ぶりが思い出されて、当分は切れないだろう。

実を付けなくなった娘のビワの木
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思いがけず快晴の七夕。
家族みんなへの願いとメッセージをビワの木に老夫婦でつけました。
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