「昨日のサルの騒動・・・」
夕方も絶対やって来る!そう踏んで、銃に弾を装填し、サルの襲来に備える。
※参考:『初の実戦投入の結果はいかに?無肥料・無農薬、自然栽培奮闘記!』
そんな感じで丸一日畑で過ごしていたのですが、夕方からはザワッと雨が降りました。
サルたちも私たち同様に、びしょ濡れになるのがイヤみたい。
よって襲来もなく、穏やかな休日の夕方を過ごすことができました。
昨日は薄い白青系のTシャツでニンジン・ダイコン用の畝作りに励んでいたのですが・・・。
思い起こせば、この状況はかつての私の
"念願!"
でもありました。
何が念願なのかといえば、白系のシャツ。これを着れるようになっている自分に改めて気づいた次第です。
私は若いころ、21歳の時から激しい皮膚の炎症に見舞われ続けるようになりました。
それからずっと、白いシャツを着ることを回避し続けてきたなと振り返るのです。
白いシャツを着れば、シャツは血で染まってしまう。首、背中、肩、腕・・・。
血や体からの分泌物、さらには薬毒がシャツのアチコチにこびりつき、どんなに洗ってみたところで、酷く茶色く。
そんな感じで流血の跡がどうしても衣類に残ってしまう・・・。
血で染まったら、どうしよう。こうしたことから、ずっと白系の衣類を避け続けてきたように思うのです。
ステロイドや免疫抑制剤を使えば、惨たらしい炎症も短時間でキレイに収まっていきます。
それでも薬効が切れれば、スグにまた激しい炎症に見舞われ始める。
また薬剤を塗り、ベトベトした皮膚からは、汗とともにクスリが流れ出て、それをシャツが吸い込んでしまう。
その汚れっぷりといったら、これもまたかなり無残な様相。
無投薬・無医療での闘病を開始し、何度も克服できた後であっても回避の意識は変わらない。
白にはどうにも苦手意識というものがあった。そんな風に当時を思い返しているのです。
※アブラゼミを見つけて、接写!
■最強のゆえに・・・
私が白いシャツを着るようになったきっかけは、畑作業を始めてから。
黒系の服で畑に赴くと、スグに
「蜂の標的」
になってしまうことが理由です。
黒い服を着ていると、蜂は本能で「熊発見!」。そう思うらしく、大切な巣を守るために威嚇と攻撃とを繰り返してくる。
農薬なんか一切使っていないし、ましてや細胞浸透系の農薬なども絶対に畑では使わない。
ゆえに蜂をはじめとしたさまざまな生きものたちの楽園、我が畑には実に多様な生き物が生息しているわけなのです。
白系の服を着ている限り、蜂は無暗に襲ってくることなどない。コチラが蜂をイジメない限り、お互いに平和に過ごすことができるというもの。
白系の服を着るようになった理由の1つは「蜂対策」。
それとは別に、この季節、黒い服など暑くて暑くてとても着てはいられない。
清涼感を楽しむ意味でも、畑では白っぽいシャツを着るように心がけているのです。
私は21歳にアトピー性皮膚炎の症状を発症して以来、約12年にわたってステロイド剤や免疫抑を使い続けてきました。
激しい炎症であっても、クスリを塗ればあっという間に症状はキレイに収束していく。
でもクスリが切れれば、再び強い炎症に見舞われることになる。
最初は弱い強度のステロイド剤で収まっていた症状も、時間の経過でそれでは全く収まらなくなっていく。
そうなると次は中程度の強度のステロイド剤が処方される。中程度で収まらなくなると、今度は強いレベルのクスリが出される。
それでも収まらなくなっていき、やがては最強ランクに。私は2000年~2003年の間中、最強ランクのステロイドを使い続けていたのです。
でも最強であろうと何であろうと、やがてはそれも効かなくなってしまいます。困り果て、最後に訪れた医院では、
「今の状態だと、塗り薬だけではとても抑えることができません。今日から飲み薬も出します」
このように告げられ、そして・・・、
「この飲み薬は正直、危険なクスリなので、1日朝晩2回だけ。それ以上は絶対に飲んではなりません。このことを今ここで私と約束してくれますか?」
そう医師から告げられてしまったわけなのです。
とうとう、完全にクスリが効かなくなってしまった。自分はこれからどうなってしまうのだろうか。
不安で不安でたまらない。そのあまりにその晩、号泣してしまったことを思い出すのです。
■内なるチカラ!
泣き疲れた後に、私は強い決意をするに至りました。それは今後、あらゆる薬剤を一切使わない。
それは当時、知識として知っていた無肥料・無農薬の自然栽培の原理原則。
「自然尊重・自然順応・自然規範」
この原則を自分の体に当てはめてみる。野菜にだってできるのだから、自分にだってできるはず。
無投薬・無医療での治療に、全存在を賭けて取り組んでみる。たとえどんな結果になったとしても、この一事に賭けてみる。
こうして2003年の夏に、私は無投薬・無医療での治療を始めるに至ったのです。
この日のことを思い出すと、それから21年。
紆余曲折、さらには様々な試練を繰り返しながらも、本当にここまでよく生きてこられたなと思うのです。
ただ生きているだけではなく、畑仕事や昼夜勤の労働に耐えられるまでに回復している。
そして念願でありつつも、苦手意識が強かった白いシャツを着られるまでになっている。
32歳の当時の私、本当に大きなターニングポイントだったなと振り返るのです。
それは、医者やクスリといった自分以外の「外」に解決を求めるあり方ではなく、「内」
に潜む自分自身の力。
その力を最大限に引き出していくあり方なのだと思っております。